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フィクションは夢想か。我々が超越しなければならないものとは。 ――元長柾木氏のツイートを考える――

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あのCMを批判することと非西洋の文化を後進だ野蛮だといって改めさせる植民地主義って同根だと思うんですよね 進路が決まった女の子の笑顔をそんな簡単に否定できるの? その進路がブラック企業ならともかく、あの世界観ではそうじゃないじゃん フィクションを異文化としてきちんと受け止めようよ 

フィクションが無意味なら気遣いとか配慮とか全部無意味だって話ですよ でも違うじゃん 気遣いとか配慮が大事だって、みんなぼくたちに教育してきたじゃん じゃあなんであの子の気持ちを無視するんだよ 気遣いなんて建前ですか そうですか うわーん(T\_T)

フィクションをわれわれとは関係ない夢想だと切り捨てるなら、気遣いも思いやりも民主主義も全部不要ですよ 隣人の幸福をそんな簡単に無視できるなら、プラトンもルソーもただの道化ですよ 人類の歴史に意味なんてないですよ

規制とかの話で、現実とフィクションは別という戦術をとるのは、まあ理解できるものの、ほんとは異文化の尊重(われわれとは異なる営為で悦ぶひとがいる)ということを主張してほしいわけですよ せっかく、偉い人たちが非実在青少年の存在を認識してくれたんだから

 元長柾木氏によるこのツイートは、当時話題になったブレンディの牛を擬人化したと思われるCMを指したものだ。

このCMについては、以下のサイトが詳しい解説(考察)をしているので、それを知らない方はそちらをまず参考にして欲しい。

mistclast.hatenablog.com

さて、この一連のツイートで元長氏はどのような意図を持っていたのか?

それを、考えていこうと思う。

いわゆる元長柾木論というものにする気はないが、しかし元長氏の過去の作品(フロレアール、ギャングスタ・リパブリカ、猫撫ディストーション)のネタバレとなる話になるかもしれない。ようするにそういうものがあるということで。

 

 

二項対立

 

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太古から我々は、何かと何かの対立を目にしてきた。

善と悪、父と母、幸福と不幸、天使と悪魔、希望と絶望…エトセトラ。

別にそれは争っている必要はなく、ただ対立として(まるで鏡のように)存在していればいい。

男と女のように、いわばそれは対義語として存在するもの。

それこそが二項対立の仕組みであり、意味するところである。

元長氏はこの二項対立についてフロレアールでこう語る。

Solitaire trap in the abyss of the existence of the human.

we must get it over.

――フロレアール 

我々は、その二項対立を〈超越〉しなければならない、と。

 

 しかし何故、元長氏は二項対立を超越しなければならないと言うのだろうか。

簡単に言ってしまえば、この二項対立に意味などないからだ。

正確には、何かと何かを分けること(何かと何かを対立させること)の先に意味は無い、ナンセンスだというわけだ。

例え話をしよう。

男と女というものが存在するこの世界。この世界から、男と呼ばれるものを消してみよう。さて、どうなるだろうか。

結論から言えば「女」は消える。

誤解なきように言っておくが、別に世界中の女性が子孫が産めないから死んでしまうという話がしたいのではない。別に女性同士で子供を産めると仮定した世界だっていいのだ。

私が言いたいのは「女」という概念(考え方とも言い換えられる)が消え去る、という意味だ。

「女」という概念は、次のように定義される。

「女とは、人の形をしており、そして男でない特徴を持つものである。」と。(もちろん、生物学的な意味以外にも多くあるだろう)

これは、「女」という概念が「男」という概念を前提に考えれれているからに他ならない。いや、前提というより、分け方といったほうがより正確だろう。「男」というものが存在し、「女」というものが存在する。そして、その2つを分けるとき、「男」という概念と「女」という概念が生まれる。そして、ここに二項対立が生まれる。

「女」とは、「男」の二項対立という壁に阻まれた向こう側の存在だ。しかし、この「男」が消え去った時、その支えを失い自重に耐え切れず崩れ落ちる。

つまり、「女」という言葉は「男」と区別するために生まれたものなのだ。その区別する対象が消えた時、「女」というものは消えてしまうだろう。もし「オンナ」という同じ発音をする言語があったとしても、「男」が消えた世界では、それは我々が知る「女」とはまったく別のものなのである。

さて、この例え話から分かるように、すべての二項対立で表されているものは、その対立相手の存在を前提としている。言ってしまえば秤の向こう側のようなもので、それがなくなってしまえば、天秤は傾くほかないわけだ。

我々は常に、天秤の向こう側を殺そうとする。しかし、そんなことは無意味なことなのだ。天秤の向こう側を殺せば、こちら側の秤も落ちてしまう。ゆえに、この二項対立自体に意味はない。ただそれは、そこに在るだけのものなのだ。

 

では、この二項対立をなぜ我々は「超越」せねばならないのか?それを次に説明しよう。

 

超越

 ここでまた、一つの例え話をしよう。

ある思想と、それに対立する別の思想がある。

「人を助けることは正しい」という思想と「人を助けることは間違っている」という思想とでもしよう。別にここでの思想の内容はなんだっていいのだ。対立さえしていれば。

さて、ここで正しい、いわゆる倫理的に良いとされるのはどちらだろうか。これはもちろん前者だろう。

人を助けることは正しい。困っている人がいるなら手を差し伸べるべきだし、もしそれが自己犠牲を前提としてのものならなおさら素晴らしく正しいものだろう。

では、この思想を受け入れることが出来ず、後者の思想に心から賛同してしまうものはどうだろう?

我々は、後者の思想を持つ者達に対して何をするか?

答えは明白である。それは「排他」と「弾圧」だ。

我々は殺す。他の人を傷つける者を。他の人に仇なす者を。他の人を騙す者を。他の人から奪う者を。殺す。殺す。殺す。殺す。

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「……そもそも、趣味や特技や思想など。本質的に自分で決められるものじゃ

ない

少数派に属する個性をもった人間が邪険に扱われるのだとしたら、それは差別以外の何ものでもない

そして体裁というものが通常多数派の定めたものである以上、少数派がそれに則ることが難しいのはあたりまえのことだ

それを勘案せず体裁に拘泥する生徒会など、生徒会の名にあたいしない

われわれはここで生きている。今現に生きている者を排除するもの―――

それは、ただの略奪者にすぎない」

ーーギャングスタ・リパブリカ

 別にこれは、現代の社会が冷たいとか、法がそういうシステムであるとか、そういう話をしているのではない。

これは、昔から続く、我々の在り方の話をしているのだ。

さて、では他人と思想が違う人間、その中でも、我々が倫理的に良いと思うものを受け入れられない者はどうなるのか?

彼らは二通りの道しか残されていない。その在り方を貫き殺されるか、その在り方を隠し怯えながら過ごすかだ。

 だが、考えて欲しい、一体彼らは何を犯したというのだろう。

彼らはただ、我々と違う在り方を、考え方をしていただけにすぎない。

そして、それは「自分で決められる」ものではない。気付いたときにはもうそうなっていたのだ。

人と違うという生き方を、運命の中に組み込まれていただけなのだ。

それを我々は容赦なく殺す。我々と違うから。我々の考える倫理では間違っているから。我々が悪と考えるから。我々の、二項対立の先にいるから。

 

 ここで我々は問われることになる。

ーその倫理の正しさは一体誰が保証する?

ーその正義は誰が保証する?

ーその思想が間違ってないと誰が保証する?

「幸福が最大になるように行動せねばならない。その正しさを保証するのは誰なんだ?」

ーーギャングスタ・リパブリカ

 はっきり言おう。そんなものはない。

 ただ漫然と、それが正しいと信じているに過ぎないし、そんなものを保証してくれる”神様”だっていない。(いやしかし”天使”はいたようだが)

我々はただ漠然と、信じるものが「本当に正しい」と思い込んでいるに過ぎない。

それは薄氷の世界だ。いつ割れるともしれない、支えも何もない恐ろしい世界だ。

ーーこの世界が偽物なら、本物だって偽物さ。

ーーどっちが本物で、どっちが偽物か。

ーーお前の目には見分けがつくのかい?

「またその理屈かよ……」

ーー真実だからな、真実はしつこいぞ?

ーーお前だけじゃなく、俺たちを外側から観てるヤツにも言っておくが。

ーー人間は自分の『後ろ』を見ることが出来ないんだぜ?

ーー今、お前の『後ろ』に何がいても、お前にはわからない

ーーお前の『後ろ』に世界は『無い』んだ。

――猫撫ディストーションExodus

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 そう、二項対立による思想の対立とは、そのすべてが偽物だ。

それこそが、元長氏がいう「フィクション」である。

……僕たちはみんなフィクションの中を生きている。

……初めから判りきっているさ、そんなことは。

……けれど、大事なのはそんな白明の事実じゃない。

……全てはフィクションだっていうのは絶望じゃない。

……大事なのは、世の中の色んなフィクションを1つ1つ見当してくこと。

……そして、自分にとって何が意味があるのか、何がそうでないのか、それを確認していくこと。

……そう、そのことが、多分大事なんだ……。

ーーフロレアール

 だがしかし、フロレアールでこう述べられているように、それは決して絶望ではない。

我々に必要なのは、それがフィクションであることを認めた上でその二項対立を引き受ける事。

そしてそのことが「二項対立を超越する〈we must get it over.〉」ことなのだ。

もしそうしなければ、我々はいつまでも実態のない正しさで薄氷の上を進んでいくことになるだろう。

 

フィクション

 さて、元長氏のツイートに目を向けてみよう。

ここにも「フィクション」という言葉が出てきているが、しかし先に示したフィクションが指すものとは僅かに違っている(しかしその本質は一緒なのだが)

フロレアールで語られた(先ほど説明した)「フィクション」とは支えがない思想を指す。

対して、このツイートで指す「フィクション」とは虚構の物語である。いわば直訳なのだが、だがしかし、何故それが無意味なことが気遣いや思いやりもフィクションになってしまうのだろうか?

言ってしまえば、他者の存在とは先に示したフィクションのように支えのないものだからだ。

猫撫ディストーションではそれが徹底的に描かれた。

量子力学に支配された世界、我々が『観る』ことで確定する世界。言葉がなければ、点と点だけの世界になってしまう、そんな世界。

私は結衣だ 
そして、私は女の子だ
私は黒っぽい服を着たクールな感じの女の子だ
これらの意味を全て集めた概念だ
もしこの概念が存在しなかったら、私は画像データの一部でしかない
ただの、点の集まりだ
そんな点の固まりに、なぜ、観ている者は『魂の存在』を感じるのだ?
実際の人間でも同じことだ、人間は肉と骨の固まりでしかない
そんな肉の固まりに、なぜ、観ている者は『魂の存在』を感じる?
同じなんだよ、絵も、機械も、人間も
ただのモノに『意味』が与えられたとき、そこで初めて粒子の固まりでしかないこの宇宙は『世界』になる
初めに『言葉』があるとはそういう『意味』だ

ーー猫撫ディストーション

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かの哲学者、ジョージ・バークリー曰く「存在するとは知覚されることである。」

言ってしまえば、これは典型的な(ウィトゲンシュタインとは違う)独我論なのである。(独我論が何かは各人調べて欲しい、説明するとながくなるので…)

我々が、いや「私」が観なければ世界は消えてしまう、他人は消えてしまう、そんな淡い存在。それこそが世界と他人の正体である。

つまり、支えがないあやふやなもの、それを我々は根拠もなく信じている。

そう、本質的にこの虚構の物語を指す「フィクション」とは先に示した「フィクション」と同等なのである。

 

そしてこのフィクションを、他人を、二項対立を認めた先こそが〈超越〉である。

 

結論として

大きく遠回りしてしまった気もするが、では元長氏が言いたかったことはなんだったのか?

それは、「フィクションの存在を認め、それを尊重すること」だと思う。

フィクションとはつまり偽物、他者、他の思想、いや世界すべてとも言い換えられるかもしれない。

だけど、それがフィクションだと認めた上で、それに対して向き合っていく。それこそが気遣いや思いやりに繋がるものでもあるのだろう。(他者の存在がフィクションなのだから、他者に対する気遣いなんて無意味かもしれないという話である)

そして元長氏はこう言いたいのだろう。

「たとえそれがフィクションだとしても、それを受け入れたのなら(いわば〈超越〉したのなら)それはもう夢想(無意味)ではない」と。

 

何かを信じて覚悟することは、悪いことじゃない。
だけどその前提として、

疑問に感じ、みずから選びとることが必要だ。
でなければ、それは信じることにも覚悟することにもならない。この前も言ったように……ただ動作する機械にすぎない

ーーギャングスタ・リパブリカ

 

自ら選び取ること、何かを夢想でないと、例えそれがフィクションだとしても言い張ること。

異文化の、異世界の、他人の、世界の、その思想を尊重し、認め、夢想ではないと思えること。

それこそが、このツイートで元長氏が言いたかったことではないのか、と私は思う。

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感想

というわけで元長氏のツイート考察はここで終了。

まぁあまりいうことも無い気もしますが、いつかは「他者の思想」がどういうものなのか、その自由を認めることとかもちゃんとまとめたい気もします。気だけ。

さて、今回も参考にさせていただいたサイト様の紹介です。特にこの「おすすめを猫箱に(旧:猫箱ただひとつ。)」様はいつもたのしく読ませていただいて、ブックマークにも入れてるほどなのでよければ一度。という感じで。

フロレアール考察―我々は二項対立を超越せねばならない― - おすすめを猫箱に

ギャングスタ・リパブリカ 感想_悪は世界を変えていく (13975文字) - おすすめを猫箱に

ギャングスタ・リパブリカ 時守希 感想 (15166文字) - おすすめを猫箱に

ミトシィ 【感想】 猫撫ディストーション

ミトシィ 【感想】 猫撫ディストーションExodus

yosh10さんの「猫撫ディストーション Exodus」の感想

 

元長氏の最新作が来年春に出るらしいので要チェックですよみなさん!(ダイマ)

ウィザーズコンプレックス

 

ではでは~

(終)