ブランド:ステージなな(同人サークル)
シナリオ:片岡なな
公式サイト:ナルキッソス
眩しかった日のこと、そんな冬の日のこと
終始暗く、やりたいことだけをやったような作品。
そもそもあらすじに「現代、暗い、主人公とヒロイン、どっちも死にます。」って書いてある時点でもう意図的だ。この物語においてネタバレなんてものは意味をなさない。あるのは一つの過程。主人公とヒロインが死ぬまでの過程だけだ。
僕は結構この作品を高評価しているのだけど(上からだ)、しかしこれはフリーゲームとしての評価であり、もし商業作品として出されたら良い印象は得なかっただろう。言ってしまえば、これはフリーゲーム(同人ゲーム)だからこそ成り立つ作品で、故にこれは名作足りえると思っている。
しかし、勘違いしてほしくないのは、別にこの作品をけなしているわけじゃないってことだ。
はっきり言って、この作品は完成されている。短編が短編として完成されているように、詩が詩として完成されているように、それぞれの作品にはそれに見合った媒体が存在する。(例を上げればフリーゲームのSCE2なんかが挙げられる。SCE2は確かに名作だけど、それはフリーゲームだからこそ完成されてた名作なのだ。)
そういう点において、このNarcissuはフリーゲーム(あるいは同人ゲーム)として完成されていた。故に商業ゲームではいけない、というわけだ。ほら、料理にはそれに見合った器があるみたいな?
と、なんか初っ端からぐだぐだした感想が続いたけど、以下雑感。
あとナルキ2はやってないのであしからず。
(ネタバレ注意)
人生の終わり
人生の終わりってどんなんだろう?
きっと誰もが考えた一つの疑問。だけどそれはいつだって一つの答えで締めくくられる。
その答えは「死」だ。
死は等しい。富豪も、奴隷も、社長も、美少女も、娼婦も、子供も、大人も、誰もが生きるからこそ死を迎える。
死がなんなのかは、僕は語らないけど(語れないけど)生きてる以上それは避けられないことはなんとなくわかっている。不老不死を求めた者は多くいたけど、ひとりとして不老不死を手に入れたものはいなかった。生きる限り誰もが死ぬ。もしかしたら、生きるということはいつか死ぬということの裏返しなのかもしれない。
この物語の7Fの住人はそれを否応無しに突きつけられる。
誰もがわかっていながら目を背けてきた事実、意識しないようにしていた答え…。
それがいきなり目の前に現れる…。その絶望は計り知れない。
セツミはそんな絶望から、世界を隔絶することで避けてきた人間だ。世界のすべてがモノクロで、自分の身に起きていることすらもどこか他人事のように思える。口癖は決まって「別に…」。彼女にとって外側の世界で何が起きようと「べつに」どうでもいい。意志がない、ただ与えられたものを返すだけの「エコー」のような存在だった。
生涯の伴侶は、目を閉じた世界だと覚悟している
――セツミ
そんな事実に対し、僕(プレイヤー)は何もできない。あまりに抱えている問題が大きすぎて、何を言っても彼女にとっては選べる者の上から目線に過ぎないだろう。
だけど、それを打ち破ったのが主人公だ。
運転免許証、銀のルーペ、現金…。
行き先はない、ただ7Fも家も嫌だった。だからどこかを目指した。
それが物語後半に形を帯びて「淡路島」という目標を得る。
淡路島という目標、本物の水仙という目標を得たセツミは「エコー」ではなく「ナルキッソス」になっていく。自分の意志をもった一人の少女のように、可愛らしい服を褒められば照れて、淡路島への道を教えてくれて、運転にあこがれをもって…
なんだ、セツミは外見相応の女の子だったんだ…。もしこのゲームに泣く所があるとしたら、それはセツミとの別れの場面ではなく、このなんでもないような、カップルに写真をとってもらっていたような瞬間なのだろう。セツミは達観していたようで、しかしその実褒められば照れるようなありふれた女の子だった。
物語の最後、セツミは神話のナルキッソスをなぞるように入水自殺する。
いつか出来なかった入水自殺。主人公は止めも勧めもしない。ただ後ろで見守るだけだ。そんな主人公が最後にセツミに語りかける。
「お前、今…引き止めて欲しいか?」
「…」
「それとも…背中を押して欲しいか?」
「…さぁ…どっちだろうね
あはは、よくわからないね」
――主人公、セツミ
人生の終わりってどんなんだろう?
ありふれた疑問、そして決まりきった答え。
それはただひとつの例外もない。誰もが「死」ぬ。生きてる限り「死」ぬ。
セツミが選んだ入水自殺という「死」は、7Fでの「死」も、家での「死」も、きっとその他の「死」でも変わらない。結末は同じ。同じ「死」なのだ。
それでも確かに、彼女は自ら海の中へと沈んでいった。7Fでの「死」も、家での「死」も拒否して…。
その「死」に意味があったかどうかは分からない。きっとセツミ自身もわかっていなかっただろう。
だけど、確かに、彼女は、一つの何かを選んだのだ。
彼女の入水自殺は、ありふれた出来事にすぎない。三万五千人いる自殺者の内の一人。他人から見れば結末は同じ。
それでも彼女の最後は、ナルキッソスのそれのように自分を愛せた最後であった。
憧れていたグラビアアイドルのようにとはいかなかったけど、タオルとスカートという簡素な水着だったけど、取れた写真は一枚だけだったけど…
それでも最後にセツミが見せた笑顔は、写真に残った彼女の笑顔は、彼女が自分を愛することができた証だったのだろう…。そのことが切なくてやりきれなくて、ただ僕は涙をながすことしか出来なかった。
「narcissu」というタイトルは「Narcissus(水仙)」から「suicide(自殺)」の「s」を取ったものと言われている。そりゃそうだ。彼女の最後は決して自殺なんかじゃない。形の上ではそれは入水自殺かもしれないけど、彼女は確かに自分を愛して、そしてその愛に殉じただけなのだ。
水仙(Narcissus)の花言葉は「自己愛」…そして「報われぬ恋」…。
それは果たして報われた愛だったのか。それはきっと、セツミにしかわからないのだろう。
人生の終わりってどんなんだろう?
僕が死ぬことはきっと生きている限り決まりきった事実だ。
だけどそれはありふれた出来事で、70億人の死が決まっている人の内の一人にすぎない。
もし自分の物語があったとして、そこにあらすじを書くならこう書くだろう。
「現代、普通、主人公は死にます」
なんてネタバレだ。だけど、こんなネタバレは意味をなさない。
決まりきったことを言って何になるんだ。大事なのはきっと、その過程だろう。
この先、何が起きるかわからない。わかっているのはただひとつ、自分が死ぬってことだけだ。
セツミのように自分を愛せるだろうか。何かに笑顔になれるだろうか。
それはわからない。彼女の入水自殺が正しいかどうかも僕にはわからない。けれど間違ってると言われたら、彼女の笑顔が否定されてるようで、僕は反論したくなるのだ。
「眩しかった日のこと、そんな冬の日のこと」
彼女にとってそれは、眩しかった日だった。自分の生に恋し、愛した日。それはきっと何よりも輝いて、眩しかったことだろう。
雑感
綺麗な作品。
BGMも良く、背景画像もすごい綺麗だった。
こんなレベルのゲームが無料で良いのか!良い時代になったものだ(世紀末感)
みたいなことを思いながらプレイ。
上でも書いたけど、スカート買って褒められた時のセツミが可愛すぎて、ほんと泣いてた。わかってる。わかってるんだけど、泣けてくるんだよ。こういうのはほんとずるい。ライター氏ほんといい仕事します。
しかし2はやる気にならないんだよなぁ…。いや、わかってくれる人もいるんじゃないか?なんかセツミの物語は主人公との物語だけであって欲しい。みたいな。よくわらない思いが今の僕にはある。まぁ明日になったら分からないような曖昧なものなんだけど。
しかし完成度が非常に高い。
BGMも背景も文章の出し方も全てがまとまっている。
こんなに完成された作品は久々に見たので、ちょっとそういう意味でも感動してます。
シナリオだけならともかく、システムを含んだすべての完成度ってのは難しいですからね。とにかく、良きゲームでした。
(終)