明けましておめでとうございます、生きております(定例挨拶)。
たびたび言っているのですが、まぁ私生活がどうもドタバタしてまして。いえまぁ、ドタバタ自体は11月に終わっていたのですが、ランスXが…面白すぎて…。よくあるよくある。
しかしまぁ、いくつか纏めておきたい内容の話もチラホラ出てきまして。どういう形で出すかはわかりませんが(批評の一部か久しぶりの雑記か…)、いつか出せればいいですね。ここで言った話を実現した試しはないんですけども。
前回の日記とかでは「今年は10本くらいは…」とか語ってましたが、全然達成できなかったり。うんうん、よくあるよくある。
そろそろブログ5周年なので何かデカい記事でもかければ、とかなんとか。いや、5周年記念という形で出すならそろそろ着手しなければならないのですけどね。
というわけで今回は『ルリのかさね ~いもうと物語り~』『JQV人類救済部』『ランスX ~決戦~』の話。
以下ネタバレ注意で。
ルリのかさね ~いもうと物語り~
あの日……屋上で誓った言葉。
けれど、その言葉は少しだけ、形を変えていた。
分け合うのではなくて、重ねあって歩いていけたら。
この小さな傘の中から、一歩、踏み出せるだろう。
作品内のあとがきでも触れていますが、今回のテーマは「かさね」です。
で、ここらへんの「かさね」の解釈が(おそらく意図的に)とも氏と池波氏でズレていて、そういう部分に少し違和感を感じてしまうワタクシなのでした。
「かさね」を「重ね」と解釈すると、それは「別々のモノを足し合わせる」という意味合いになるのだと思います。Twitterでは「折り重なる」と言いましたけど、重なったものから一つをまた抜き出すことができること、これこそが「重ね」の指し示すモノです。
一方で「かさね」を「習ね」と解釈すると、意味合いがまた変わってきて。それは「別々のモノが一つになる」ということなんだと思います。「重ね」に比較していえば習なったものから再び一つのものに戻すことは出来ない。イメージとしては混ぜ合わせる(融合する)ことに近いですね。
ここらへんの区別が前者ではユラ、イチコルートでは重視され、後者ではルリが重視されていたなぁ、という感想です。
もう少し「習ね」の話をすると、それは関係性そのものに近いのだと思います。
RURIルートにおいて、二人はいろいろなものを重ね合わせていきます。
あるいは下駄を、あるいはご飯を、あるいはサンドイッチを、あるいは日誌を、あるいはおみくじを、日々を、身体を、目線を、幸せを重ね合わせていく。
主人公とルリは一人一人の存在だけど、『初駒家』は習ねあった存在であるように。
二人が重ねてきたからこそ、習ねと呼ばれるものが出来上がっていく。
だから、閉じた世界に、取り返しのつかない間違いはあったのかもしれないけど、確かに習ねあった幸せはあったんだよ…というお話でした。
ゆえにこそ、主人公の家は神道なのですけどね。アレは家族である限り、死後も祖霊というモノに一体化(つまり「習ね」だ)していくものなので。
小道具を使い(サンドイッチとかご飯とか…)ルリと重ねてきた関係を思い出させる手腕は流石の一言。神道とかも含めて、とも氏は本当に小道具の使い方が上手だなぁ。
お気に入りキャラはユラ。ああいう幼馴染キャラにメチャクチャ弱いので…。
ちなみにとも氏と池波氏で「かさね」の解釈を変えたのは、「習ね」を終着点とすると物語が似たり寄ったりになるからではないかと。つーかユラもイチコもサブヒロイン感が否めない…。
J.Q.V 人類救済部 ~With love from isotope~
『————世界でいちばんちいさなもの』
『それは人の心』
『脆くて』
『不確かで』
『かけがえない』
『それがほんの少しだけ、自分にも宿っていると知っていたから』
『君は守ろうとしたんだ』
『傷つけようとしたわけじゃなく』
『守ろうとしただけなんだ————』
世界2億人のポストアポカリプスファンの皆さん、お待たせしました。最強の終末モノですよ。
結構文章にクセはありますが、むしろそのくらいが丁度いいというもの。キャラやテンポも良く、プレイしてきた中でも相当上位に入る作品ですね。
特にアポカリプスに至るまでの経緯や、先生の組織論が面白い。ここらへんをきっちり描ける作品ってマジで少なくて、大体少人数で行動とかになりがちなんですよね。まぁそれもそれでいいんですけど、たまにはこういった組み立てが上手な作品をやりたかった…。いやほんと最高でした。
実は記事にしようかな、とかも考えていたのですが、これをクリア後に丁度ドタバタありまして…。完全にタイミングを逸した感じですね。本作が結構腰を据えて考えなきゃいけない作品というのもあるのですが。
最後、島地が動物に変化してしまうシーン。
アレ、結構解釈が分かれると思うんですけど、個人的に島地は「人間」になったからこそ「動物」に変わってしまったのだと考えます。
人を傷つけて、好きだった人を失って、そうしてようやく彼は人間になった。
ACで言われた通り、過ちをやり直すことは出来ないから、あの世界はきっとあそこで終わりだけど
別の世界で、彼が罪を抱いて人間になったことが、皆の希望になる……かもしれない。
それは不確かな希望だけど、僕たちが信じた人類の美しさって、そんな移ろいやすいモノの中にあるのでしょう?
お気に入りキャラは彬名
ランスX ~決戦~
「旅は楽しかったですか?」
具体的には11月下旬くらいから約2か月に渡る旅。100時間に及ぶ冒険の感想は……マジで最高でした。
戦闘バランス、シナリオのサクサク具合と「あともう少しで勝てるんだけどなー」という試行錯誤感は本当に楽しかったです。特に1週目は無理やり海ENDに行ったので、何回も何回もやり直して、あーでもないこーでもないとプレイしてました。まぁアレですね、毒殺呪殺睡眠は最強、ということで。
ランスシリーズは01, 03, 7, 8, 9とプレイしてきたのですが、そんなにわかプレイヤーからすると7辺りから終わりの構想は考えていたのかなー、と。なんか鬼畜王では外伝的な展開が見れるそうなのですが、先にこっちやってもよかったな、という思いもあります。もう少し落ち着いたらこちらもやりましょうかね。
ちょっとジャンルの話になるのですが、エロRPGってのは基本的にエロをゲームの報酬として持ってくることができるので、割と良いゲームデザインを組みやすい気がするんですよね。ある意味、そうした形でゲームを作れるのってエロゲならではだと思っていて、ノベルゲーはノベルゲーでニッチな題材でも受け入れられるという部分はありますが、エロRPGってエロゲとしての一つの解答なのかなとも。ランスシリーズは基本的に全ENDと全CGを埋めるように努力はしてるんですけど、そこらへんのモチベーションも保ちやすいですよね。
まぁ肝心のゲームバランスがダメだとどうしようもないのですが。
後、賛否両論の2部について。
今までのキャラをないがしろにとか、ランス君が主人公の方がよかったとかいろいろ意見はあると思うのですが、個人的にはアレ大好きです。
シリーズに所縁のあるキャラたちの掛け合いや、仲間たちの信頼と友情、そしてメチャクチャ燃えるラストバトル……。一生ここにいたい、旅が終わってほしくない、と思ったのは一度や二度ではありません。
それでも、いつか旅は終わるもの。”あなた”はその意志と勇気をもって、確かに冒険を成し遂げたのです。
物語的には”あなた”はルドラサウムなんですけど、プレイヤーを指していると匂わせていたのはミスリードではなくダブルミーニングだと思います。
長年続いてきたランスシリーズは本作で終わりだけど、最後にランスを通して見る世界ではなく”あなた”が見る世界を体感して欲しかった。”あなた”がいたから物語は終わり、世界は平穏を取り戻せる。……つまり一つのご褒美でありFDですね。こういう終わり方ができるのは長年続いてきて、かつ主人公が”あなた”ではないランス君だからこそだと思います。
いつだっていつだって、旅は終わりを迎えるもの。
だから、ここまで冒険をさせてくれた世界に、”あなた”はこう答えるのです。
楽しかった
———”あなた”
お気に入りキャラは……ちょっとここには書ききれないほどに多いかな…。
でもシルキィとママクルックーは久しぶりにド直球に好きなキャラだった。
ありがとうランスシリーズ、ありがとうAliceSoft。
ドーナドーナも買うからなー。