古明堂

『こめいどう』と読みます。主にエロゲの批評などをしております。

なないろリンカネーション 感想 ―きっとまた会えるから― (3980文字)

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ブランド:シルキーズプラス

シナリオ:かずきふみ

公式サイト:なないろリンカネーション

 

どんな形でもいい、願わくば、どうかどうか。

琴莉が、誰よりも幸せになれますように…

 

祖父の死により、昔住んでいた家に戻ってきた主人公。そんな主人公が、座敷わらしと再会し鬼たちの力を借りながら「霊能探偵」をやっていく…。本作をまとめればこんなところだろう。

暖かな空気、作品における空気ってのは結構大事で、具体的にどうすればという話はできないのだけど、家族の暖かさみたいな。そういうのを作品からずっと感じていた。

とりあえず作品を取り巻く「リンカーネイション」の概説とその取り扱われ方から。

まぁ、正直作品として綺麗に完結しているのであんまりいうこともないかも。

あと雑感で仏教について偉そうに語ってるけど、全然信憑性のないことなので信じないように。いや、信じる人はいないと思うけど…。

以下、雑感。(ネタバレ注意)

 輪廻転生(リンカーネイション)

この作品を取り巻く概念の一つ、それがリンカーネイションである。

そもそも仏教において、最終的な目標は「解脱」であり、分かりやすく言い換えるなら「この世への執着からの脱却」である。余談を言えば、執着をなくすからこそ、人との繋がりが大事になる(袖振り合うも多生の縁みたいな)らしいのだけど、僕は正直そこらへんの話は全然分からないので、話半分で聞いていただければ。

さて、そもそも仏教において、生命というのは様々な生き物をグルグル巡るらしい。

例えば僕が死んだとする。死んだらそれまで、じゃなくて犬とか豚とか虫とか…。人間に限らない何かとして生を受けるらしいのだ。でもそれは仏教的には全然良いことではなくて、むしろそれから抜け出す(=解脱)ことを勧められる。なぜなら仏教においては生きることは苦しみに他ならないからだ。生きることは苦しいことであり(四苦八苦に代表されるようにね)ゆえに、永遠と輪廻転生を繰り返すことは、終わりなき苦しみを味わうことに他ならない。故に解脱が勧められるわけだ。

 

でもこの作品において、この輪廻転生は肯定的に迎え入れられている。

作中において、死の先の話は明言されいない。むしろわからないものとして、座敷わらしの伊予とかが祈るように「次の生があったら…」みたいな形でしか表されていない。「天国」とかのワードが出てくる時点でまぁお察しです。作中において輪廻転生の存在は”絶対”のものじゃない。だけど、それでも彼女たちが次の生で良き思い出をたくさん作れるように、と祈らずはいれない。そんな気持ちになってしまったのはシナリオ氏の狙いなのだろう。

 

タイトルにもなっている「なないろ」ではあるが、しかし作品内において「なな」は全然出てこない。

これも仏教の話になるのだが、仏教において「七」というのは希望に満ちた数字というか、言ってしまえば「良い」数字である。

例えば六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知慧から成る、仏の境地に至るための修行)とか六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上から成る輪廻の世界)に代表されるように、「6」は悟りに至るまでの過程であるわけだ。で、6の次の「7」は「悟りの世界」に踏み出した事を象徴している、とされている。七という数字は希望の数字であったわけだな。ここらへんからも作品の空気を感じることが出来ると思う。まぁそこらへんの話は後述するということで。

 

もともと、輪廻転生という考え方は、苦しみの世界を描くためのものだった。しかし、この作品においてそれは希望に満ちた世界の姿だ。それはリンカーネイションという言葉にも現れている。先はめんどくさかったので輪廻転生とリンカーネイションを同一として語ったが、リンカーネイションとは「肯定的に輪廻転生」を捉えているらしい。いや、此処らへんの話は全然わからなくて、ほんとに受け売りなのだけど。

 

なないろリンカネーション

仏教的な話が終わったので、それを前提にした作品のコンセプトとかを。

主人公が関わるのは、基本的に「幽霊」であり、それはなんらかの「未練」がある存在らしい。つまり、幽霊は多かれ少なかれ自分の人生を後悔しているのだ。小百合ちゃんとかは殺されたことよりも、家に帰れないという後悔をし、嶋さんとかは殺されたこともあったかもしれないけど、好きだった彼に裏切られたことが心残りだった。

この幽霊として一番印象的だったのは、メインヒロインであり全ルートに深く関わっている「琴莉」だろう。琴莉は生前の人生を楽しいことなんてなかったと言い、死んでからの(本人は気付いてはないんだけど)加賀見家での生活だけが楽しかったと語る。

琴莉の人生には後悔しかなかった。それを解決していくのが全ルート共通の目的である。

 

リンカネーションとは輪廻転生を肯定するという考え方、というのは先に述べた。この作品における主人公の役割とは、決して幽霊の後悔をなんとかするだけじゃなく、このリンカネーションを後押しする役割も持っている。輪廻転生を肯定的に捉える以上、次の生に苦しみがあるかもしれないという問いからは逃れられない。琴莉とかは、親との上手くいっておらず、学校でも友達があまりいなかったと認識している。けれど、彼女は自らの葬式で涙する人達を見て、愛されていたことを自覚したのだ。もし殺されたことを憶えていたとしたら、その場で琴莉に成仏しろ!なんていっても聞かないだろう。苦しみしかなくて、誰も相手にされなかった人生に何の意味があるんだ!みたいに言い返されたかもしれない。けれど、それを打ち破ったのが主人公である。

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琴莉は家族にずっと飢えていて、その暖かさを与えたのが鬼たちを含んだ加賀見家である。家族という温かい輪。それは苦しみを味わってきた琴莉の心を溶かしていく。(余談ではあるが、加賀見家における家族は一つの世界であったのだ。一番上の画像を見てもらえば分かる通り、琴莉と主人公を含んだ”6”人で’丸い”食卓を囲んでいる。これは輪廻転生を肯定的に捉えているリンカネーションを後押しするもので、六道の世界を肯定する事に他ならない)

 

琴莉にとって加賀見家は家族の象徴であり、それは不幸だった自分の生を肯定できる材料にほかならない。だからこそ半分のエンドで琴莉は悪霊化せず成仏できる。琴莉にとって成仏するとは、次の生で暖かな家族に囲まれることに他ならなかったわけだ。それを描いたのが梓ルートで、逆に加賀見家という温かい家族に居るというのを描いたのは由美ルートであった。まぁそこらへんは琴莉の二つのENDでも描かれてるんですけどね。

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このゲームで「七」って数字は象徴的に扱われていて、梓ENDでは子供が一人生まれ加賀見家は”7”人家族(人…?)となる。由美ENDでは由美が家族に加わりこちらも”7”人家族となるわけだ。どちらも、これからの楽しい日常が続いていく事が示唆されている。7という希望に満ちた世界なわけだな。

つまり、この生でも、次の生でも、その生は希望に充ちているというわけだ。輪廻転生をセーフティーネットとし、その上でいまいるこの世界を否定するわけでもない。言ってしまえば、これは一つの生命賛歌の物語だったわけだ。*1

 

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伊予ではこれが少々特殊で、数という単位ではない’家族”を描いたキャラクターだと思った。

伊予は物語最初から最後まで主人公に付き添った存在だった。それが恋仲になるかはともかく、桔梗が消える前からずっと家にいたわけだ。伊予は座敷わらしで、家からいなくなるとその家には不幸が呼び込まれる。

伊予は温かい存在で、永遠を生きる存在らしい。それはきっと「家族」という概念を擬人化したものだからだろう。ずっといる”温かい”もの。それは伊予に限らず、きっとどこにでもあって、その内容は変わってしまっていても(例えば、加賀見家の鬼がその主人と死を共にするように。加賀見の家が続いていくのは”家族’があるからであり、しかしそれは不定形のものである)家族というものは在り続けるわけだ。リンカネーションのセーフティーネットと同じで、これは輪廻転生という世界を肯定するための材料の一つであったわけだ。家族という温かいものがあるからこそ、次の生が温かいものだと信じることが出来る。

 

 

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死という逃れられない事態からも、希望を見出すことが出来る。

きっとまた会える、そう信じることが生きるための力になるだろう。

なないろリンカネーションは、そういう希望を見出す作品であったと思う。

 

雑感

綺麗にまとまった作品。しかしボリューム不足というか、展開が全部一緒というか…。

琴莉ルートを最初にプレイしたので、そこまでだったらめちゃくちゃ評価してたと思います。ボリュームは問題でしたけど…。

欲望だけ言えば鬼達と、主にアイリスと葵とイチャイチャしたかったです!良いキャラしすぎて僕は結構好きだったんですけど、日常パートをもっと増やして、嶋さんの父親以外の霊を出すとか…。鬼達の力をもっと使うとか…。…ねぇ?

てゆーか葵とアイリスとイチャイチャさせろって話でした。欲望丸出し。

 

なんか全体的にもったいない作品。FDみたいな形で追加シナリオがあれば評価も上がるんだけどなぁ、とDMMで半額だったから買った奴が言っても説得力無いわけですけど。とりあえずあけいろ奇譚楽しみ。

 

(終)

*1:マジの余談なんだけど、この一連の悲劇を産んだ西田巧君は、美しい肉体をつなぎ合わせることで、新しい生を生み出せると思い込んでいた。もちろん、常識的に考えてそんなわけないのだが、物語の構造を考えると、肉体のみを重視した西田君が精神(あるいは魂)を重視していた主人公(や物語)に破れるというのは当たり前であったのだろう。だからなんだって話なんですけど。