「雨垂れ岩を穿つ、ってね」
「は?何それ?」
「ただ一滴の雫にはたいした力はないけど、そんな雫でも集まれば岩に穴を開けるほどの力になる、って意味」
DEARDROPS——親愛なる雫たち。
俺たちにはピッタリじゃないか?
ブランド:OVERDRIVE
シナリオ:那倉怜司
公式サイト:OVERDRIVE 5th Project - DEARDROPS
人が80年という長いようで短い時間を生きる上で、避けがたい出会いというモノがあるのならば。もしかしたら、人はそれを”運命”と呼ぶのかもしれません。
DEARDROPSというゲームは、僕にとってそんな”運命”で、いつかはクリアしなければなーとか思ってました。というのも、DEARDROPSはたまたまYOUTUBEで知ったんですけど、それはもう10年くらい前のことなんですよね…。当初は音楽だけ知って(確か最初に聞いた曲は『Natural Born Challengers→』)、実はラストライブなんかにも行ってたり。でも本編の方はPSP版を挫折してからずっとプレイしてませんでした。携帯ゲーム機とノベルゲーって相性悪いんだよな…。
僕の辛かった時期を、疲れた体を、内側から元気付けてくれたのはDEARDROPSですし、これからもきっとそうでしょう。音楽とは、本当にそういう力があるのです。
社会から「ドロップアウト」した爪弾き者の彼らは、それでも音楽を奏で続けます。ロックとは誰かに迎合せず、誰かに操られず、しかして万人の魂を揺さぶるものだからです。ヒュー!ロックンロール最高!!
社会から零れ落ちた雫達は、自分たちが決めた道をまっすぐ進む。そうしていれば、例えどんな頑丈な壁があっても穿てると信じて。
これはそんな不器用な人間たちのお話。とどのつまり、ロックとロックンローラーのお話なのです。
以下、感想。ネタバレ注意。
前へ進め
いつまでも同じ場所にはいられない。
生きているものは動き続ける。
流れない水は腐る。
止まってしまっては、俺たちも生きられない。
夢を追う。夢を追う。夢を追う。
いつの日か、追っていたはずの夢が終わらないように。
いつのまにか、追っていたはずの夢に追われないように。
夢を見ること、あるいは追うことの正しさは置いておいて*1、それはとても美しいことだと僕は思う。叶えられないかもしれないけど、前に進まなくちゃいけない。それは「そうしたい」という願望ではなく、「そうしなければならない」という強迫なのだ。
おれは描かなくてはいけない、と言っているんだ。描かずにはいられないんだ。川に落ちれば、泳ぎの上手い下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ。
———サマセット・モーム 『月と六ペンス』
本当に辛く苦しい旅は、まるで巡礼のように例えられる。好きだから、楽しいから夢を追っているはずなのに、いつのまにかその感情すら忘れてしまう。「そうしなければならない」という強迫は、やがて悪魔となって目の前に現れる。
俺からバイオリンを取ったらなにが残る?
何も残りはしない。だから俺は負けられない
———翔一
だから翔一はヨハンを階段から突飛ばそうとしてしまった。上手くなるにつれて色々なものが見え始めると、単純に楽しいという気持ちだけではやっていけなくなる。それは宿命だ。夢を追うことは、真剣に何かをやることとは、そんな苦しみを抱えるということに他ならない。
それなら、夢を追って前に進むことは間違っているのだろうか?
「なぜ苦しいことをわざわざやるんだ?苦しみたくなければ怠惰に過ごしていればいい。だがそれじゃ人間は満足できない」
「望んで苦しみを追い求めるのが人間だ。そうしなければ人間は満足できないんだ。それは、人間がそういうものだからだ」
たしかにそうかもしれない。
でもそれなら……
「じゃあ、人はなぜ生まれてくるんです?」
(中略)
「それが知りたきゃ立ち止まるな。一瞬たりともだ。ずっと走り続けるんだ」
それは果たして答えになってるのか。
ごまかされているようにも思う。
だが、その言葉はなぜか俺の耳に残った。
———英嗣、翔一
苦しみは避けられない。人はそういう風にできている。……確かに、楽しいだけの世界で、傷つくことから逃げて、ただ「生きる」ことは出来るかもしれない。だけどそれは「食って寝てクソするだけ」の肉の塊と変わらない。ロックに言うなら、そんな生き方は『魂』がこもってないのだ。走り続ける人生が生まれた理由を生み出すのではなく、立ち止まった時にこそ人は生まれた理由を失うのだ。
初めは楽しかったはずの道も、次第に苦しくなっていく。それは音楽だけじゃない。ありとあらゆるもの、すべてにおいてそうだろう。
けど、それでも前に進み続けた者たちにこそ、見える景色が、出逢える人たちがいるはずだ。
例え社会から零れ落ちた彼らでも、世界を変える熱量を響かせたように。今は立ち止まっても、前に進むことでしか得られないことはきっとある。
歌い続け 歌い続けないと 埋もれてく、ノイズに。
中途半端な気持ちじゃいつかは 立ち止まる日が来るよ
進むべき道はもう見えてるんだ
No music, No future.
運命について
夢を見ること、あるいは追うことの正しさは置いておいて、それはとても美しいことだと僕は思います。叶えられるか、正当性があるかとかは別に、そのひたむきさ、純粋さこそが美しいのでしょう。
ただ一方で夢を追うということは、当然のように苦しみが伴ってしまう。ただ楽しいだけのものを趣味と呼ぶなら、なるほどこれは仕事とも呼べるのかな、なんて思いました。*2というか、仕事好きな人って同じようなこと言うじゃないですか。「9割9分が苦しいけど、残りの1分が楽しい。その楽しさが忘れられないんだ」みたいな。僕は正気かよと思いますけど。
けれど、そういう理解をすると作中で印象的に使いまわされてた『運命』というワードもなんだか納得できます。
作中ではいくつかの出来事に対して「運命だ」という解釈をキャラたちがしてたんですけど、最初はこの言葉に対し「それを打ち壊すのがロックなんだろ…」と思っていました。でも、DEARDROPSにおける『運命』とは「前へ進み続けた人間だけに対して提示される選択肢」なんですよね。
例えばDEARDROPS(バンドの方です)はレオの前座を急遽頼まれる。失敗する方の確立が高いし、傷つかないように立ち回ることだってできたはずです。だけどそうしなかったのは、前に進み続けたDEARDROPSが掴んだ運命の選択肢だから。それを超えないといけない場所を目指していたから。
地道に積み重ねていくだけじゃ達せられないものがある。
思い切って飛び越えなければ達せられない場所がある。
俺たちはそこを目指すんだろ?
———翔一
翔一がベルガーの元に戻るのも、かなでがプロへの道を掴んだのも、前に進み続けた彼らの歩みあってこそ。
運命の女神は前髪しかない。それは逃したら二度とつかめない。運命の提示するチャンスとは、いつだって安寧と挑戦の二択なのだ。
こうした発想(というより『運命』の定義といった方が正確か)は、仕事の上でもよく聞く話で、別段珍しくないのだと思います。なんというか、前へ進み続けることで、周りの人が自分一人では行けなかった場所へ連れて行ってくれることがある。*3それを形にできるかは分からないけど、夢を掴んだ人の中で前へ進み続けなかった人は一人もいない。
思った部署と違うとこに配属されたけど、結局その分野で情熱燃やしてます、とか。
やりたいこととは違ったけど、意外とやってみると楽しかった、とか。
まぁ、クソみたいな仕事もいっぱいあるので何とも言えんのですけど。それでも、前に進み続けることは間違いじゃないのです。翔一もギターがやりたくて始めたわけじゃないのに、前に進むことでかけがえのない仲間たちと出逢えた。望んだ道じゃなくても、前に進むことで思いがけない運命がやってくるかもしれない。
それでも労働はマジでクソなんですがね。でもまぁ、前に進み続けるロックな気持ちは忘れずにいようぜ、って話でした。*4
以下、所感です。
ようやく終わったという気持ちと、終わってしまったという気持ちが同居しています。これを人は達成感というのでしょうか。またしてもエロゲで成長してしまったな……。
最初の方でも語りましたが、僕にとってDEARDROPSは運命の出会いであり、何度も支えてもらった存在です。それをこうした形で恩返し(になるのか?)できたのは、在りし日からの成長を感じますね。大丈夫かその方向で。
実は僕も最近は夢を追いたいな、と漠然と考えていて(もうこの時点でダメですが)、小説を書いたり何か楽器を始めようとしたりしています。ゆっくりゆっくりとですが、そうして少しでも自分の「なりたい姿」に近づけたらいいですね。
僕は超保守派なので、律穂や翔一のようにそれだけのためにすべてを懸けることは出来ません。でも、ただ「なりたい」とだけ思っても意味ないですし、超低確率でもそうなれるように努力することは、無駄じゃないと思います。多分ね。
そんな僕は、夢のために、目的のために、そして何より自分自身のために、輝きながら生きる彼らに非常に力強さをもらいました。本当にエネルギーのある作品でしたね。
OVERDRIVEの作品は買ってはあるけどやってないので、あの、はい、これからプレイしようと思います…。圧倒的に人生に時間が足りない…やはり労働はクソ…。
お気に入りキャラはりむ。でもルートとしては律穂の圧勝。ラストに残しておいたのはマジで慧眼。
つーかこのゲーム、異様に太ももへのこだわりが強いように思えたのは俺だけ?
(終わり)
*1:夢の正しさの話は次を参照してください:あの晴れわたる空より高く 感想 ー夢の行き先ー (2431文字) - 古明堂。つーかこの記事、個人的には5本の指に入るくらいお気に入りなのに全然評価されてない…。なぜだ…。
*2:例えば翔一はギターを趣味として定義してるし、バイオリンを苦しみとして定義していました。そこの分岐点が、趣味か仕事か、みたいなところがあるかもしれませんね。
*3:楽器を弾けない人にプロの話が来るでしょうか?確率は低いかもしれなくても、演奏し続けたらプロの話が来るかもしれない。売り出し方を考えて、多くの人と関わりながら動いたら、より高い確率で誰かがプロの話を持ってきてくれるかもしれない。それは広義の意味での「世界」がもってくる「運命」の話ではないでしょうか?「世界が放っておかない」ってそういう意味では?
*4:当たり前なんですが、だからひたすら働き続けろって話じゃないです。がむしゃらに行くことも時には必要ですが、往くべき道が見えてるのに環境を変えないのは、変化を恐れた停滞であり、魂の死だぜってことです。ただ、苦しいから往く道を変えるのはまた別じゃないか?ってお話ですけども