古明堂

『こめいどう』と読みます。主にエロゲの批評などをしております。

すみれ 感想 ―憧憬― (2689文字)

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自分から前に出て行かなけりゃ、何にもならない。

いつか、誰かが、この世界から連れ出してくれる。

そんな考えは、子供にだけ許された、甘えだと知ってる。

……でも、理屈で分かっても、頭で理解できても……

「そうよね。こんなこと言われて、変われるようなら……」

「最初から、ぼっちなんて、やってないわよね」

 

ブランド:ねこねこソフト

シナリオ:片岡とも

公式サイト:すみれ

 

ねこねこソフト15周年記念作品となる本作。どうやら過去作すべてのキャラを『ネット世界』に登場させているそうで、僕はねこねこソフトNarcissu以外にプレイして事ないので正確なことはわからんのですが、そのほとんどを新たに描き下ろし&収録してるそうですね…。

ワーエレの時に少し「〇〇周年でこういう作品を出せるのはすごい」と言いましたけど、それを余裕で飛び越えてきたというか。記念作品で言えばこうした形以上のものはないのでは?

 

というか今気づいたのですけど、Narcissuをプレイして感想を書いたのが丁度3年前なんですね。

いやぁ、時間が過ぎるのは早い。このサイトもなんなら3周年ですからね。

しかし、このサイトを運営し始めてから、僕も色々と心境やら生活やらが変わったというか。

少しづつ少しづつ、エロゲというものを(というか娯楽全般を)心から楽しめなくなったように思えるし、昔みたいな面倒くさい事も言わなくなってきて、なんというか『大人』になってしまったなぁ、とかそんなことを思っています。

 

「すみれ」の主人公も僕と同じような人間で、いつの間にか夢中になれるものを失ってしまい、ただただ周りに合わせて愛想笑いする。

なりたい自分はいるけれど、決してそうはなれないと分かってしまった。

 

そんな「すみれ」感想。以下、ネタバレ注意で。

繋いだこの手を

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……そう。

別人なんだ。俺も彼女も。

ここに居るのはモエと健ちゃん。

明るくて萌え萌えしいモエと、男らしい主人公である健ちゃんなのだ。

 

覚えているにしろ、忘れてしまったにしろ、殆どの人にとって「なりたい自分」というものがあっただろう。

それは別に大仰な話ではなく、もう少し痩せたいとか、何かに詳しくなりたいとか、人付き合いが上手くなりたいとか、そんな些細なことでもいい。

なりたい自分。望んだ姿。願った未来。

それを『ネット世界』では叶えることが出来た。だから彼らは学園から卒業出来ずにいる。

 

主人公は、たまたま同姓同名だった「みずいろ」の”健ちゃん”に憧れた。

けれど、それが叶うのは『ネット世界』だけの話。現実ではうだつの上がらない一人のサラリーマンで、決められた営業ルートを巡回するだけ。ゲームのようにはいかない。望んだものにはなれない。いや、なろうとすらしていなかった。

ゲームのキャラクターのように、不器用でも、格好よく……

そんなこと、俺には出来やしない。

ただの願望、望むばかりで叶うこともない。

「……俺は、『健ちゃん』では……ないんだから」

願望をぶつけたアバターは、ここにはいない。

いるのはただ、何も出来ない俺、一人だけ。

ここは、現実なのだ。

―――健ちゃん

 

当たり前の話だが、私達は永遠に物語の主人公になどなれない。

この世界は現実で、決して物語の中ではないからだ。 

だから、そこから目をそらして、望んだ自分になれる『ネット世界』に入り浸ってしまう。

けれど、寝たフリしても意味なんてない。私達が生きているのは、この現実なのだ。

不格好でも、逡巡しても、手を伸ばせばきっと掴めるものがある。

「いつまで……その手を、伸ばしてるつもり……」

「そりゃ、お前が掴むまで」

「やっぱりあなた……バカなの?」

「そりゃ……健ちゃんだからな」

―――あかり、健ちゃん

 

結局、彼は「みずいろ」の”健ちゃん”になれなかった。

だけど、彼は彼なりの”健ちゃん”になって、手を握ることが出来た。

不慣れだったかもしれないけれど、『ネット世界』の中ではなく現実世界で。

それこそ、彼が憧れた主人公の姿そのものではないだろうか。

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 ―――離れぬよう、流されえぬよう、ぎゅっと。

 

 所感

世の中誰しも黒歴史というものはあるもので、例えば僕とかは本気で主人公になろうと色々頑張ってた時期があります。コレ、笑って良いヤツなんですけど、なんというか、自分にない勇気を振り絞るのって結局どこかから持ってくるしかないんですよね。

本作ではそれが「みずいろ」の”健ちゃん”なんですけど、それはしかし憧れであって現実ではない。たった一時、手をのばすことはできても、なかなか人間というのは考えが変わるわけじゃない。でも、そうしてたった一回手を伸ばした事実が、誰かを、そして自分を救うことになる……かもしれない。

誰かを助けるとか、命を掛けるとか、そんな大仰な事じゃなくて、僕たちに必要なのは、クラスメイト(や同僚)に声を掛けるとか、家族と話すとか、寝たフリをやめるとか、まぁそんな些細な(そして自慢できないような)勇気なんですよね。

僕たちは主人公じゃないし、この世界は物語じゃないので、当たり前の勇気をちょっとずつもらって生きていこうぜ、というお話でした。

つまり、女の子にナデポなんてするんじゃねーぞ!という。*1

 

舞台設定、キャラ造形などなど、そういった点はさすがの片岡とも氏…と言わざる負えないのですが、個人的に一番キタのは過去作を小道具としてうまく使っていた点ですかね。

例えば「みずいろ」。主人公や憧れ、という面だけでなく、理想の世界である『ネット世界』の暗喩でもあったのが結構印象的ですね。

見上げると、そこにはよく晴れた空。

決して曇ることも、翳ることもない、みずいろが広がっていた。

すみれ編の一部での発言ですけど、永遠に変わらないネット世界のCGの空を指してこういう言い方を出来るのはマジでスゲーな、と。

後はあかり編での病室が7Fだったところとか。Narcissuネタなんですけど、つまり目を閉じた死を待つだけの世界こそがあの病室だったのだという、既プレイ者じゃないと分からない暗喩とかもあったので、ねこねこソフトの作品をもっとプレイしてる方は気づけるのでしょうなぁ。

そういう意味でも、15周年作品として作り込んでるなぁ、というか。

これからはねこねこソフトを追いかけても良いかもしれない、と思うこやよいさんなのでありました(でもあの公式サイトは古すぎないか…?)。

 

お気に入りキャラはすみれ。お気に入りルートもすみれ。

すみれが雛姫編で健ちゃんを励ますシーンとか好きだったよ…。救った者に救われる系主人公に弱いので…。

 

(終わり)

*1:おっとこれは僕の黒歴史