古明堂

『こめいどう』と読みます。主にエロゲの批評などをしております。

優しさの覚悟(アウターヘブン)

優しさとは何か。

我々が誰かに対し、何をしてあげられるのか。

 

益体もない、そんな優しさの話をしようと思う。

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これから話すのは大人の話。

子供の世界を壊し、あるいは壊され、現実という理不尽な世界に生きる大人の話。

そんな大人が誰かに優しくするというのはどういうことなのか、そして果たして本当に誰かに優しく出来るのだろうか。

 

理不尽な世界

我々を取り巻く世界は、言わずもがな理不尽なものである。

今この瞬間も、生まれたばかりの子供のいくらかは死に、罪なき人々は事故によって、悪意によって、そしてあるいは善意によって、その尊い生に理不尽な終わりを告げているであろう。

もちろん、そんな遠くの誰かの話じゃなくてもいい。

些細な勘違いから大事な人を傷つけた人、善意で行ったことがその人のためにならなかったどころか不利益になってしまった人、努力が報われなかった人…。

きっと、誰もがそんなことを通り過ぎてきたに違いない。

生きるって呪いみたいなものだよね。

報われない、救われない、叶わない、望まない、助けられない、

助け合えない、わかりあえない、嬉しくない、悲しくない、

本当がない、明日のことなんてわからない……。

それって、まったくの呪い。100パーセントの純粋培養、

これっぽっちの嘘もなく、最初から最後まで逃げ道のない、

ないない尽くしの呪いだよ。

そうは思わない?

ー皆元るい(るいは智を呼ぶ

ないない尽くしの呪われた世界…。

残酷だが、それこそがこの世界の正体だ。

なぜなら、この世界は我々がいたから作られたものではないからだ。

それは、因果の順序を履き違えている。この世界があって、そして我々はその中で生きることを許されたに過ぎない。

我々に理解できないものは多くあり、そしてそれゆえにこの世界から理不尽は消え去らない。

非線形な世界、ブラック・スワン…言い方はなんでもいいが、とにかくこの世界からありとあらゆる理不尽は消え去らない。

 

さて、話が大きくなってしまったが、私がここで言いたいのは「誰かに対し優しくすることも理不尽に見舞われる」という事だ。

そしてこれは先に述べた通り、消え去ることはない呪いだ。

 例えば、あなたが知り合い(あるいは友人でも恋人でもいい)を助けようとしたとする。

なにかに困ってる人を助けることは、なるほど美徳だろう。

 しかし、その助けた後、助けた人が「誰かの助けがもらえるんだったら、あんまり頑張らなくてもいいや」なんて少しでも思ってしまったらどうだろうか。

その場だけで言えば、その人は助かったかもしれない。だけど、その人の残りの人生で見た時、その人への行動は本当に『正しかった』といえるのだろうか?もしかしたら、その人はそれが原因でもっと大きな窮地に陥るのではないか?だったら、困っている人を助けることは悲劇への決め手となってしまうのではないか?

すべての助けがこうなるとは限らない、というよりこうなる方が稀有な例だろう。

だけど、我々が住むのは理不尽な世界だ。

あなたが誰かを助けようとしても

―――その人の為にならないかもしれない

―――その人は助けを本当は求めてないかもしれない

―――助けを求めていてもあなたではない誰かを待っているのかもしれない

―――助けたつもりでもそれがその人を本当に助けたことにはならないかもしれない

 ―――その人は助けられて迷惑に思うかもしれない

―――あなたが関わったことでより酷い悲劇に見舞われるかもしれない

―――あなたの助けは、正しいものではないかもしれない

いくらでも、あなたが報われない未来は想像できる。

あなたが、あなただけが報われないならまだしも、多くの人に、そして助けたいと思ったその人を傷つけるかもしれない。

それらは、どこまで正しく、どこまで信念を持っていたのだろうか・・。

それぞれが正しいと思い、信念を持った結果がこれだったのかもしれない。

人は、何かの問題に安易な原因を作る。

でも、悲劇の原因はただひとつの事実によってなど決定しない。

正しい選択の積み重ねが時に大きな悲劇だって生む。

そういった意味でも、

”地獄への道は善意で敷き詰められている”のだろう。

人はよかれと思い・・地獄への道を歩いて行く・・。

ー悠木皆守(素晴らしき日々

 残酷だが、それがこの理不尽な世界でのルールだ。

あなたは主人公じゃない。誰かの問題を綺麗に解決できるような人じゃない。(もしかしたらそんな人がいるかもしれないけど、この世の殆どの人間は我々が思い浮かべるような”主人公”ではないだろう)

もしあなたが誰かを助けることを素晴らしいと感じる”善人”なら、きっとこの問題はいつか直面するものだろう。

なぜなら、これは『誰かを助けるということ』という問題の本質なのだから。

では、我々の善意が必ずしも誰かの幸せに繋がるわけでないのなら、我々はどうするべきなのだろうか。

 

覚悟

心理学者、アルフレッド・アドラーはこの問題に対して、「課題は分離せよ」という。

哲人 わかりました。それでは、アドラー心理学の基本的なスタンスからお話ししておきます。たとえば目の前に「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。

青年 誰の課題なのか?

哲人 子どもが勉強するのかしないのか。あるいは、友達と遊びに行くのか行かないのか。本来これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。

青年 子どもがやるべきこと、ということですか?

哲人 端的にいえば、そうです。子どもの代わりに親が勉強しても意味がありませんよね?

青年 まあ、それはそうです。

哲人 勉強することは子どもの課題です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

青年 分離して、どうするのです?

哲人 他者の課題には踏み込まない。それだけです。

青年 ……それだけ、ですか?

哲人 およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと――あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること――によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。

嫌われる勇気(岸見一郎/古賀史健著)

 課題を分離する、つまり、無理に助けようとしないということだ。

求められば手を貸すけど、こちらからは手を貸そうとしない。

話したくなったら話すだろうし、俺は人の言うことにあれこれ口を挟むつもりはない。挟むことがあるとするのなら…

…向こうの方から、俺に歩み寄ってきた時だけだ

ー風見雄二(グリザイアの果実)

 なるほど、それも一つの正しい方法だろう。

そうすれば、相手が求めていない助けをすることもなくなるだろう。

しかし、自らの助けが悲劇を招く可能性はどこまでも否定出来ない。

 

これに対する私なりの答えは、こうである。

私が思う、いわば”善行”と呼ばれるものをする際に必要なただひとつの資格は、『覚悟』である。

―――あなたの善意は報われないかもしれない

―――あなたの善行は悲劇に繋がるかもしれない

―――あなたはその人に嫌われるかもしれない

わからない、ないない尽くしの理不尽な世界。正しい答えなんてわからないし、きっとそんなものはどこにもないだろう。

 

―――それでも

 

それでも、と

それでも、あなたが誰かを助けたいと思ったのなら、それは決して間違いなんかじゃない。

誰かのためにならないかもしれない、より大きな悲劇を引き起こすかもしれない、本当に報われないかもしれない…

だけど、それでも、このまま見てるだけなんてできない。そう思えたのなら、それは『本物』で、きっとあなたが思った通りに成すべきを為すのが正しい。

この優しい王国。

等価に無慈悲で不条理な、この世界で。

怒りも、呪いも、努力も、苦闘も、信念も。

この優しい王国は等しく無価値に押し流す。

だから。

たった一つの呪文を唱える。

それでも、と―――― 

コミュ-黒い竜と優しい王国-

それはきっと辛いものだ。

どれだけ善行を積んでも、”もしかしたら”という可能性を排除できない限り、誰かを傷つける事になるかもしれない。

快楽が悪行の奥に巣食うように、善行の奥にはきっと苦難が巣食っている。

だけど、その痛みは決して間違ったものではないのだ。

それは”覚悟”だ。

誰かを助けるということは、多かれ少なかれ誰かの人生を背負うということだ。

誰かの人生を背負うということが決して軽いことではないのは、きっと想像に難くないだろう。

誰かを助けることで、誰かを傷つける覚悟。

誰かを助けても、報われない覚悟。

ーーー誰かのためじゃなく、自分のために

その痛みが、きっと誰かを本当に救う事になる。

 

もし、その覚悟をしないまま人を助けようとするなら、いつかその理不尽に身を焼かれるだろう。

「お前(あなた)のためを思ってしてやったんだ!!」なんてその最たる例だろう。

彼らは覚悟をしていない、自らが傷つく覚悟と、誰かを傷つける覚悟を。

優しさとは、この覚悟を持ち、そして進んで行くことだ。

優しさってさ、一過性…たとえば瞬間に見せるものなんて優しさでもなんでもないんだよ。それは同情って言うんだよ。

そう、一過性の優しさなんて、辛さも苦しさも…あとリスクだって無い。その場だけじゃなくて…長い目で見ても、自らに不利益になりうる事…そうなったとしても突き通せるもの…それこそが優しさだ。

誰にも感謝されず…ただ良かれと思う事だけをやる。それを支えるのは単なる意地だ。人の優しさを支えるのは意地だよ。それを突き通そうとする意志だ…。

ー木村信勝(素晴らしき日々

 この世という舞台の上で、我々にとっては神の振る賽に右往左往する哀れな駒でしかない。しかし、只一つ、運命の無惨にも宿命の嵐にも立ち向かう為の力を、最初から与えられている

―――――――意志だ

ー成田真理(ハローレディ)

 

間違ったら、傷つけたら、謝ればいい。

悲劇が起こったら、出来る限り助ければいい。

きっとそんな簡単な話じゃないのは分かっているけど、だけど我々に出来るのはそのくらいしかできないのだ。

”人の痛みがわからない”なんて当たり前だ!

お前は子供だもの

誰だって間違える…人を傷つけたり後悔するんだ

でも……子供はそうやって学習してゆくんだよ

みんな時間をかけて少しずつ知っていく

知識や情報じゃなくて…経験として

(中略)

人は生きている限り…誰だって間違える

生きてる限り人を傷つけて自分の居場所を無理やりねじ込んで行きてゆく

でもそれでいいんだ

ー天海陸(ワールドエンブリオ

そうして我々は知っていく。

ここは楽園じゃない。

自分しかいない子供の世界じゃない、誰かがいる、大切な人がいる、理不尽が在る、悲劇が在る…

ここは大人の世界、楽園の外側、アウターヘブン…

 我々はここで、不自由な手を使って誰かに差し伸ばしていく。

 

失敗して、間違って、傷ついて、後悔して…

それでも、進んでいくのなら、きっといつか本当に誰かを救うことになると。

少なくとも、私はそう信じている。

 

 (終)