「作品が……美しくある必要は、あるのでしょうか」
「……芸術って、そういうものじゃないのか?」
「何を持って人は美しいと言うのでしょうか。色ですか。形ですか」
ブランド:きゃべつそふと
シナリオ:冬茜トム・しげた
公式サイト:アメイジング・グレイス -What color is your attribute?-
2018年萌えゲーアワードシナリオ賞金賞である今作。
梱枝りこ氏原画シリーズはなんだかんだで「いきなりあなたに恋してる」*1以来ですね。なんとゆーか昔の印象を引っ張ってるので、(昔も良かったのですが)CGめちゃくちゃキレイじゃん!とびっくりしてしまいました。
特にユネとかは、彼女自身のアクセサリーがとても豊富で、なんというか「女の子らしさ」を存分に感じたり。そうそう、こういうのがいいんだよこういうのが!
で、一応こんな可愛い絵柄をしつつ、本作のジャンルとしてはクローズド系終末ファンタジックループものです。わかりやすく言えば少しほのぼのした「はるまで、くるる」*2みたいな。
久しぶりにこういうサスペンス作品をやったせいか、非常に楽しめました。
次々と明かされる謎。テンポよく変わる展開。一方で、芸術という存在の荘厳さと恐ろしさ…。
様々な要素が混ざり合い、しかしその一つ一つが丁寧に必要不可欠な形で構成されている…。さすがシナリオ金賞!という感じですね。
調べてみたらライターの前作(もののあはれは彩の頃。)も高い評価を得ているようで。僕アレOPだけ見て「いやコレ地雷臭がするな…」と思った記憶があったのですが、名作だったのか…。買わねばな、とかなんとか。
今回はそんな今作が論じた「芸術」についてのお話。
当然のことながら、芸術の話は今作の主題ではなく、むしろ舞台設定に近いものなのだけど、まぁそれはそれ、これはこれということで一つ。
以下ネタバレ注意
OR Dadaism
美学とは――美しいものの本質を探求、分析し、また芸術というものの定義にも及ぶ一種の哲学です
神のデザインした自然こそが美しいのか?人の作り出した芸術的な美しさとは何なのか?総じて、美という価値観そのものを考える学問ですね
自分にとっての美――それを考えてもらうのが、この授業の目的ですから
芸術を尊び、中世的な価値観を維持し続ける”町”。
そんな"町"の中にある聖アレイア学院には、芸術活動だけでなく「美」を考える美学の授業が存在する。
その授業の中でも言われていることだが、普遍的な「美」の定義など存在しない。
なるほど、たしかに黄金比や協和音といった多くの人に認められる「美」はあるかもしれない。けれど、それは「美」の一部であって「美」そのものではない。黄金比でなくとも美しい絵画は存在するし、協和音でなくとも心に響くメロディは存在するのだ。*3
ゆえに、「美」とは見る人によってその定義が変わる。同じように、作品の評価とは決して普遍的な(そして妥当な)ものではない。
この”町”では、誰もがそれを分かっていたはずだった。けれど、己が「美」のためにそれを許せない男がいた。
そうして引き起こされたのが世界の破滅。”町”というキャンバスが燃え落ちる。それはつまり、芸術という存在がそこから失われたことのメタファーに他ならないのだ。
Attribute
「……アトリビュート」
「その人物を象徴する持物。絵画における一種のお約束」
本作の副題である「What color is your attribute?」は直訳すると「あなたのアトリビュートは何色?」となる。
アトリビュートというのはその持ち物から人物を特定できるようなモノ。すなわち、一つのメタファーと呼んで差し支えないだろう。
一方で、この”町”において個人のアトリビュートとは「美」に他ならない。個人を特定できるモノ。その信念と来歴から成る自分を自分たらしめるモノ。それこそが”町”における「美」であり「アトリビュート」である。
普遍的な「美」はなくとも、自分が信じる「美」というものは――それがハッキリとした形でなくとも――誰にでもあるはずだ。
一連の事件を引き起こしたギドウは、破壊を「美」と信じた。コトハは今あるがままの世界を「美」と感じ、キリエは何より自由であることを「美」と思っている。
前節でも述べたが、その間に確たる差などないのだ。西洋美術”史”という言葉から、美術は進化し続け、他の”歴史”と同様に古いものに価値がないと思われがちだが、こと美術において新しいことが正しいとは限らない。
確かにリンカの作品は既存の枠組みを破壊するすごいものだ。だけど、それが何?私達のやってきたことへの否定にはならない
古典という価値はわかるだろう?旧いジャンルが新しいジャンルに飲み込まれるなら、美術回廊にだってあんな色んな年代の作品は置いてない
―――コトハ
美術史における流れは、時代の潮流あるいは流行り廃りと呼べるものにすぎない。ロマン主義風の絵画を描いてはいけないなんてルールはないし、それが美しくないなんてこともない。「美」とは決して定義できるものではないのだ。
だから、最終章でユネを助けるために自らの命を懸けたシュウもまた、何よりも美しい。
それは形がないものかもしれない。だから作品とは呼べないけど、彼の、そして彼女の"町"を守りたいという思いは確かに美しかったのだ。
「美」とは定義できるものではない。ゆえに、たった一つの思いを美しいと感じることは決して間違っていない。
それを世界、あるいは運命と呼ばれるモノが認めたからこそ、黄金の林檎は彼らに手渡された。
―――黄金の林檎
それは、最も美しいとされる女神に贈られる不死の食べ物
―――シスター・リリィ
美しさの定義は人によって異なる。
あるいは絵画、あるいは版画、あるいは彫刻、あるいは映画…
そしてそれは決して形あるものに縛られることはない。
歌も、思い出も、そして誰かへの思いも、全てが等しく誰かにとっては美しい。
私。形のないものを創るっていうことに、ずっと自信がなかったの
でもね、今ならそれは、間違ってたんだって思える。だって――
これからシュウと創っていく家族は、形がなくたって――この世界でいちばん大事なものだから
―――ユネ
所感
「美」というのは本当に捉えどころがなくて、「美ってなんだよ?」と問われてしまえば「さぁ…?」としか答えられないようなものなんですね。
私達はたしかにそれを知っているはずなんですけど、いざそれを言葉で定義しようとすると何かが違ってしまう。その齟齬を個人の感覚という面で埋めようとしても、結局の所それはあんまり有意義ではないのではないのかなと思います。
それに非常に似ているのは、時間についてアウグスティヌスの有名な言葉。
それでは、時間とは何であるか。誰も私に問い尋ねるのでなければ、私は知っている。しかし、誰か問い尋ねる者に説明しようとすると、私は知らないのである。
―――アウグスティヌス 『告白』
問われなければ知っている、けれど問われれば答えに窮する。「美」も似たような感じで、まぁここらへん詳しく話すと哲学の領域になるんですけど、時間とは違って「美」は倫理に関わってくる問題なので難しいよなぁ、とかなんとか。
そして、今作について。
「美」を一つのテーマにしているのは間違いないのですが、決して主題ではないというか…。
やりたいこととしては、緻密なサスペンスの方が正確だと思います。「美」については舞台設定の一つというか。最初にも触れましたけど、小道具っぽい扱いなのは否めないです。ただ、それでもこういった記事がかけるくらいには作り込まれている、というのはまさしく驚嘆ですけど。
本作で最も評価されるべきは、伏線の貼り方と何十にも作り込まれた世界観です。特に"町"には文字がないところや、クリスマスのラジオなどは死ぬほど鳥肌立ちました。
こういう作り込まれた世界に僕は「美」を感じるんだよなぁ…。彼らにそって言えば、僕のアトリビュートは「調和」とかそこらへんなんですよね。混ざり合わない絵の具を使って一枚の芸術作品を作り上げるような、つまり夏彦的手腕。
今作は一応、ユネ・サクヤのWヒロイン、という解釈をしているのですけど、あまりにもサクヤが好みすぎたというか…。ユネにもちっとスポットライトを当ててあげても良かったのでは?という感はありましたね。いや、あれはサクヤが強すぎるのか…。
あと、キャラごとに美術史の流れを当ててるのかなぁ、と思ったけどわりとそーではないっぽいですね…。ただ、サクヤがルソーの<<夢>>を気に入った理由は分からんかったなぁ。知らない世界を夢想する、ならコトハの方がキャラ造形に近い気もするし…。
お気に入りキャラはサクヤ。
僕も小悪魔系後輩と304日間の同棲生活を送りたかった…。アレはアレで一つの「美」ですよねぇ、とか。
(終わり)