古明堂

『こめいどう』と読みます。主にエロゲの批評などをしております。

水葬銀貨のイストリア 感想 ―幸せな終わりのために― (3329文字)

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変わりたいと、思ったんだ。

全てを助ける存在こそ、僕が憧れたヒーローそのものなのだから。

 

ブランド:ウグイスカグラ

シナリオ:ルクル

公式サイト:水葬銀貨のイストリア

 

ウグイスカグラの2作目となる今作。前作「紙の上の魔法使い」が(某空間によると)結構鬱ゲーらしく、その反動で今作のキャッチコピーは『―――ハッピーエンドを、約束しよう』なのかなぁ、とか思っていたのですが、いやめちゃくちゃ重いですね…。「ハッピーエンド(エンド以外がハッピーとは言っていない)」みたいな。そういうことじゃないんですよ(いいぞもっとやれ)。

まぁ前作を(購入はしてるんですけど)プレイしてないんで分からないんですけど、比較的日常パートが優しくなりました、という話は本当らしいですね…。でもアレ、なんかタイミングがだんだん読めてきて「あ…そろそろ誰かが不幸な目に遭うな…」って予想させるからあんまり意味ないのでは。

 

で、タイトルにある「イストリア」なんですけど、調べたらどうやらギリシャ語で「物語」という意味があるそうで。

「水葬銀貨」というものが、物語内から「人魚姫」にイコールで繋がることから、「水葬銀貨のイストリア」は「人魚姫の物語」と変換することができるでしょう。

ならば、この寓話は一体誰が主人公(ヒーロー)で、誰がヒロインだったのか。

そこを踏まえた今回の感想。以下ネタバレ注意です。

 

 Beyond The History

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自分を犠牲にした物語に、ハッピーエンドは訪れません。

終わりがよくなければ、それは素敵な物語とは言えないでしょう。

自分を蔑ろにしている時点で、幸せが見えていない。

だから人魚姫は、ことごとく不幸になってしまうのかもしれませんよ。

 

 

人生をゲームになぞらえるなら、それは果たして良いものと言えるだろうか?

Saveもないし、Loadもない。可愛い女の子はだいたい処女じゃないし(いや別に僕は処女厨ではないけれど)、些細なルーチンワークはSkip出来ずに一つ一つ処理するしかない。攻略サイトもなければ、姉キャラもいない(最重要)。

うん、多分コレはゲームに例えてはいけないものだ。それでは、果たして何が一番ふさわしいだろうか?

 

 

その中で、英士は人生をポーカーに例えた。

けれど彼はかつて、何かを切り捨てなければ勝負に負けてしまうと信じていた。

たった一つだけのカードに拘り、他のあらゆる可能性を切り捨ててきた。それは小夜というカードに限った話ではない。個別における彼の物語は、彼が何かを諦めた先にしかなかった。

今までないがしろにし続けた妹か、あるいは自分を信じると言ってくれた異邦人か。

 

あなたの言う、諦めたほうがいいという言葉には。

「それじゃあ、駄目なんですよ。全く、足りていないのです。その程度の事情では、到底諦めることなんて出来ないんですよ」

紅葉に見限られたって。

誰も協力してくれなくたって。

僕自身が、どんなに無力でも。

大切な人を守りたいという気持ちが、止まらないんだ。

「諦めたくない理由ばっかりで―――諦めるべき理由なんてどこにもない。僕がそう願う以上、どんなに絶望的な現実にだって抗ってみせます」

―――茅ヶ崎英士

だから、何も切り捨てないと言い切った彼は、まさしくヒーローだった。

いつかの誰かが諦めた道を、イフの彼が選べなかった道を、正しく歩むことが出来た。

 

…人生をポーカーに例えるなら、それは自ら負けるかもしれない勝負に挑む事かもしれない。けれど、どれだけ配られた手札が弱くとも、戦う手段はいくらでもある。あるいは、ポーカーフェイスで相手を騙すことも、高い掛け金を積み誤解させることも、手早く次の勝負に移ることも可能なのだ。

不利な戦いかもしれないけれど、それでもその選択を正しいと信じている。

僕はきっと、勝てないだろう。そう判断せざるを得ないほど、追い込まれているけれど

胸を張って、負けることが出来る。この勝負に負けたとしても、僕のポーカーが負けたわけじゃない

―――茅ヶ崎英士

そうして彼は、ありとあらゆる物語を形作った紅葉と対峙しても尚、自らの選択を信じる。

勝率はたったの4.5%。

そのありえない可能性を叶えることを、人は奇跡と―――あるいは『お約束』と呼ぶのだ。

 

 

自らの選択を信じることは、きっと八椚紅葉や茅ヶ崎征士にも出来ていた。彼らは、どの時点においても自らの行動をやり直そうなんて思っていないだろう。

だから、その違いは理解者がいたかどうか。そばに居てくれる人がいたかどうかなのだ。*1それこそが、きっと2つ目のヒーローの条件。理解してくれるヒロインがいてこそ、彼はヒーロー足り得るのだ。

あなたには、居場所がある。受け入れてくれる相手がいる。それは、あなたの手によって守られたものよ

―――汐入久々里

 

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何を選択したところで、敗北する未来は見えない。

このゲームは勝ち負けを競うものではない。

正しい判断を下したものが、満足行く結果を得られるものなのだから。

 

 

所感

昔、ライフカードという会社のCMがあって(世代がバレますかね?)、それはオダギリジョーが自らの選択肢をカードにしてどれを選ぶか、みたいなヤツだったんですよね。

「人生は配られたカードでしか勝負できない」とか言われる世の中ですけど、それはたしかに真理で、どうやって手にできるカードは限られています。

 けれど、配られたカードと取れる選択肢というのは別で、カードをどう使うかこそが選択肢なのではないかなぁ、と思います。そりゃ強いカードばっかだったら(つまりイケメンで金持ちで性格良くて…)世の中楽勝かもですけど、弱いカードでも何かを得ている人間はいっぱいいるわけでしょ?きっとそういう人達は「上手な」カードの使い方をしたのだと思います。

だから、選択肢というのは無限にあって、それはどんなことをしたって―――まさしくレイズでもコールでもフォールドでもチェックでも、オールインでも―――良いんじゃないかな、というお話です。もちろん、良識の範囲内ですけど。

 

さて、あとは本作のタイトルの補足説明とか。

最初にちょっと話したんですけど、劇中劇から「水葬銀貨のイストリア」は「人魚姫の物語」に変換できます。

まぁ人魚姫は主人公である英士で間違いないでしょう。で、イストリアとはギリシャ語で「ιστορία」、Historyの語源となったものですね。

この「ιστορία」は、探求して学び知り得たことを意味するそうな(Weblioさんより)。Historyも人類の歴史という側面と個人の歴史という側面を持つので、個人単位で採用して差し支えないっぽいです。

なので、ここにおける「物語」とは、広義の意味での「歴史」なのですね。

そういったことを踏まえると、歴史が悲劇を繰り返すように、アメマドイでは似たような悲劇が再演されていると言えます。さらに、それを演出しているのは八椚紅葉。つまり、彼女は歴史における神の役割を担っているのですね。

ゆえにそれを打ち倒すのは、只人である茅ヶ崎英士ではなく、物語の主人公となった彼じゃなければダメなわけです。奇跡は、起こるべくして起こるのですから。

 

しかし、こういう「物語」を構造そのものに持ってくる作品の真ヒロインが、異邦人であるくくるん(久々里の愛称です)というのはまぁ結構皮肉というか…。いわゆる幼馴染負けヒロインの法則なんですよね…。ここらへんの物語における異邦人VS幼馴染の話はいつか機会があったら。

いや、くくるん大好きですよ。毒舌系ロリ体型ヒロイン、良いよね…。良い…。(一人芝居)*2

ただ、物語の構造としてそれが作られてしまうあたりに、なんとも言えない感覚を覚えるという話です。

 

全体的に高水準なんですけど、誤字脱字が…。いやもうホント、僕が言えた義理じゃないんですけど(僕も結構やらかしてる)、一気に現実に戻されるのでお願いしますね…。何回修正パッチ当てたかを確認したことか…。

お気に入りキャラはくくるんとあかりん。メイド、良いよね…。良い…。

 

(終わり)

*1:だから妻を失っている征士も、灯を失う紅葉も負けてしまう

*2:毒舌系ロリ体型ヒロインが好きなので紅葉に思わぬダメージを受けました