古明堂

『こめいどう』と読みます。主にエロゲの批評などをしております。

殻ノ少女 感想 ―生まれるために卵は在り、壊れるために殻は在る― (3626文字)

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目を背けていても、起きてしまった事は何も変わりはしないんだ。

それどころかとても大切なものまで見失ってしまう

 

ブランド:Innocent Grey

シナリオ:鈴鹿美弥

公式サイト:殻ノ少女

 

発売されたのが2008年なので、あまり当時の状況というのがわからないのですけど、発売前に開催された「登場人物の誰が死ぬかキャンペーン」はあまりにもあまりに過ぎてめちゃくちゃ笑いました。お前!ホントそういうところだぞお前!!(いいぞもっとやれ)

僕はこのゲーム単体で購入したわけではなく、イノグレ初期4作品をまとめた『PARANOIA』からやっているのですけど、フツーにこちらのほうがおすすめですね。前作であるカルタグラを含めてくれているので、そういう気遣いありがたいよなぁとか。

 

シナリオは(ENDに違いはあれど)ほぼ一本道で、カルタグラと同じく「やりたいことをやってる」感MAXな作品です。

実はこういう作品結構好きなんですよね。暗い作風が好きという意味ではなく(むしろ明るいくらいのほうが好きです)、作品の在り方に沿ったデザインが出来ているという…。うぅん、ちょっと言葉にしづらいんですけど、所謂「完成度が高い」というやつですね。

PULLTOPとかlightとかもそうなんですけど、高水準な作品を出し続けるメーカーって「作ろうとしているモノ」に対しての音楽やグラフィックの埋め方がとても上手いんですよ。なんというか「作品の作り方を心得ている」わけですよね。

まぁそういうのはむしろプロデューサーの手腕が問われるわけで、やはりエロゲーは芸術作品なのでは?と疑問を抱かざる負えないわけです(何の話?)。

 

今回は京極夏彦の著作が特に意識されているそうなので、そちらからの引用とかも。

そんな感じで、以下ネタバレ注意。

 

偏執の殻

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「私たちは弱虫だから―――愛に溺れてはならないんだ」

「溺れはしないさ。……弱虫だからこそ、二人で居るべきだろう……?」

 

「自分の殻に閉じこもる」という言葉がある。

言うまでもないが、自分の考えに固執し周囲と理解し合わないという意味だ。

誤解してほしくないのだが、この性格が別に悪いというわけではない。僕だってどちらかといえばそうだし、芸術家なんてものは自らの考えに誇りを(あるいは執念を)持っていなければとても芸術なんてものは生み出せない。

けれど、この事件においてはそれが悪い方向へ働いた。

自らの考えに固執し、自らの世界しか受け入れず、そのためにあらゆる犠牲を許容した。

故に、その『卵』の中身は血で満たされている。

 

この事件の犯人達が自らの考えという『殻』に閉じこもっていたのと同様に、櫻羽女学院の彼女たちも自らの『殻』に囚われていた。

朽木冬子は本当の親子ではないという事実から、自分の存在を信じられず

水原透子は家庭環境から、冬子以外の人を嫌悪し

月島織姫は周囲からの期待から、理想の自分を作りあげた。

それぞれが、自ら作りあげた幻想に苛まれていた。

 

しかし、『殻』に閉じこもる事は決して悪いことでない。なぜなら、それこそが成長の過程そのものだからだ。

『卵』が未だ羽ばたくことの出来ない鳥を指すのなら、社会という大空の前段階である学校は一つの『殻』であろう。

だから、そこで他者という『殻の外』を知ることが出来たのなら、正しく羽ばたいて生きていけたはずなのだ。過ちはあった。間違いはあった。けれどそれは必ずしも、やり直せないものではなかったのだから。

しかし、その未来は同じ『殻』に閉じこもる人達によって奪われてしまった。

だからこれは一つの悲劇。『卵』に偏執(パラノイア)した人たちが出逢ってしまった、悲しい事故なのだ。

 

「……自らが構築した、閉ざされたからの中はさぞかし居心地が良いのでしょうね

全てを思い通りに出来る世界―――出たくなるのもわかります。其処でならば西園さんも生きているのだから―――」

……だがそれは、妄想の世界に過ぎないのだ。

―――時坂玲人

そんな世界は、いつしか破滅という道をたどる。

自分一人しか必要としない世界は、完全であるからこそ他者を必要とせず、完結しているからこそ未来がない。

「卵」は生まれるためにあるのだ。

 

 

多くの人が死に、そしてより多くの人が悲しんだ。

その傷はきっと癒えることなく、これから先も思い出すことだろう。

けれど、玲人や紫が立ち直れたように、きっと誰もが殻に閉じこもらず歩き出せる。

その証こそが、冬子が残した殻を破る鳥の絵であり、和菜が産んだ子供だ。

この世界は不完全で、だからこそ誰かと共に生きることができるのだ。

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一羽の鳥だった。

卵から産まれ出たなかりの鳥が飛び立とうとしていた。

小さく、『瑠璃の鳥』と題名が入れられていた。

殻から飛び出そうとしている瑠璃色の鳥―――

「……殻を破って、自由になったんだな、冬子―――」

 

所感

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 つまり、『殻』とは法則/倫理/文化/檻を、『卵』とは再生(復活)/完全/世界/生誕を意味していたのでしょう。

ここらへんのメタファーが妙に多いので、変に入れ子構造になっているというか。

まぁそこら辺も含めて「分かりやすいはずなのに分かりにくい(2周目ではめちゃくちゃわかる)」という作品構造と捉えればいいのでしょうか……?和菜が怪我しないルートを後回しにしてしまったので、そういったところが曖昧なまま事件が終わってしまった印象を受けてしまいました。うん、コレ多分怪我しないルートを先にやってればある程度の構造を把握できてあんま誤解しなかったかもなぁ。*1

 

京極先生の影響を多分に受けてるのは皆さんおっしゃる通りで、作品名を上げるなら「魍魎の匣」と「絡新婦の理」ですね。

特に後者は舞台設定に一役買っていて、例えば「黒い聖母」なんかがそうだと思います。

つまり黒い聖母と云うのは古の故郷の神神が基督教に取り込まれたと云うような単純なものではなく、基督教に欠落した部分―――例えば女性原理のようなものを補う装置として必然的に誕生したものなのだ。

堅固な教義に塗り固められ、噴出する場を失った小さな矛盾が、場違いに黒い異形の像から染み出して来たのだね。

―――絡新婦の理 京極堂

 こういった背景を(正確には作品内での解釈を)作品内で提示しないままプレイヤーに委ねるのはどうなの?と正直思ったのですけど、まぁ主題ではないししょうがないのかなぁ…とも。

でも魑魅魍魎シリーズについては、ミステリとしての道具をお借りした、ぐらいの認識でいいと思いますよ。まぁ近くはありますけど、テーマや構造自体は全く別物なので。

 

でも本作をミステリの枠に入れてしまうのはなぁ…。オマージュ元の作品だってミステリではないし(僕はアレをアンチミステリの枠に入れてます)。むしろこれはサスペンスだろう。次殺されるのが一体誰なのかわからない恐怖。次々と親しい人を亡くしていく主人公たち。それでも生きて事件を追っていく、というヒューマンドラマ的な。*2

どっちかと言うと刑事ドラマ寄りですよねぇ。いや、ちゃんとエロゲ的な少女の葛藤にもスポット当てているので一概には言えないんですけど。

 

ジャンル分けなどには疑問が残りますが、作品としては非常に仕上がっていると思います。

特に空気感がいい。陰鬱とした空気と、対称的な少女たちの輝き。その輝きが陰るからこそ、プレイヤーは「やめてくれ…やめてくれ…」と祈るわけです。よく出来たゲームだよホント!!

 

お気に入りキャラは冬子と紫。

特に紫は過去一位二位を争うレベルでの良い妹キャラかもしれない。*3

 

 

 

「しかし、神も仏も」

「そうだ。嘘っ八だ。嘘っ八になってしまったんだよ。だから人は他人に騙されるか自分を騙すか、そうでなければ―――」

自分の目で現実を見て自分の足でその場所に立つしかないんだと―――。

私の友人はそう云った。

 ―――京極夏彦 『陰摩羅鬼の瑕

 

 

(終わり)

*1:あー、あと紫が誘拐されて秋五の体の中に鍵を入れた犯人って誰だったんだろう?時期的には日下が怪しいけど、彼の目的と事件が合わさらないし。候補で言えば六識もあがるけど、こっちもこっちでホワイダニット(なぜそれをしたのか・動機)が不明なんだよな。

*2:つまり、ミステリとは「ハウダニット(どのようにそれをしたのか・トリック)」が重視され、サスペンスとは「ホワイダニット」が重視されるべきなのではないか、という僕の持論です。今作は後者なので、サスペンスの枠組みに入れております。

*3:「姉」とは外に向かう存在であり、主人公を引っ張り出す役目を負っている一方、「妹」は内に向かう存在であり、主人公を支える役目を負っているのではないか、という僕の姉妹論に基づくものです。こう考えていくと、バブみというのが「妹」という属性が持つ内向性が発露した結果なのではないかと考えることも出来るわけですが、多分考えすぎですね。アレはロリ巨乳的な…この話はまた今度機会があったら(たぶんない)。