かつて地上には、人間という生き物しかいなかった
しかし、いつしか自分たちだけでは世界が回せないことが分かった
そこで作り出したのが亜人だ
心を与えず根切りをし、機械のように働かせる
一時は非人道的だと叫ばれたが、時代は変わった
亜人は無くてはならないものとなった
危険な労働。断続的な作業。全てを亜人に任せるようになった
奴隷の誕生だ
やがて人はその本性をむき出しにした
彼らを意のままに操り、世界を根底から覆した
道徳は意味を失った。人間が人間でなくなったのだ
このままでは、まともな人間はいなくなる。世界は色を失う
君は、その本当の意味を理解しているかい?
Future
しかしそれは、安定のために支払うべき代価だ。
幸福か、芸術か。どちらか一つを選ばなければならない。
我々は芸術を切り捨て、かわりに感覚映画と芳香オルガンを選んだ。
―――オルダス・ハクスリー 『すばらしい新世界』
今、私たちが住んでいる世界は、昔に比べれば安定してきているだろう。
それは日本に限った話ではなく、かつて未開と呼ばれていた場所に住む人々もそうだ。*1
技術と科学がもたらす安定は、人間が動物であるからこそ断ち切れない誘惑そのものだ。実際ボクがコレを書いて、アナタが読めるのは、そういった安定があるからこそだろう。私たちは、(よほどのことがない限り)明日の食料の心配はしないし、隣の部族に殺されることもない。そんな不幸な出来事は技術と科学が駆逐してくれた。
不幸を贄に安定を手に入れた世界、それが私達が住んでいる場所だ。
Humanityの人間たちは、より多くの不幸を遠ざけることに成功した。
管理と安定。不幸の原因となるもの何もかもをなくし、やがて夢の世界でその生命を処理するようになった。
求めていたものが手に入る。
簡単に。あっけなく。労せずに。効率的に。
人の欲望に限りはありません。ですが技術の発展に伴い、人は欲望を自己処理できるようになった
機械に頼り、電気信号に頼り、循環させ、自己解決できるようになった
やがて、不幸は無くなりました
―――伊集院幸子
Humanityの人間を愚かだと笑うだろうか?滑稽だと思うだろうか?
けれどどうだろう。技術が発達し、誰しも欲しいものが簡単に手に入る世界が来ないとどうして言えるのだろうか?*2
Amazonで欲しいものをすぐ注文し、Youtubeで面白い動画をタダで見て、心地よい音楽をいくらでも聞き、美味しいものも色々食べられる。昔に比べて欲しいものへの距離が短くなっていっているのに、未来ではこれより短くならないとどうして言えるのだろうか?
だから、Humanityの人々は、私たちがたどり着くかもしれない可能性の一つなのだ。
不幸もなく、そして幸せもない。
欲しいものはいくらでも手に入れられ、やがてその欲望すら管理する世界。そんな本当の不幸を、いずれ私達は辿るかもしれないのだ。
ですが、不幸が無くなること。それ自体がすでに不幸なことなのです
不幸がなければ幸福は成り立ちません。忘れ去られます
やがてそれは忘却となり、幸不幸、その両極を蝕みます
今尚この国に立ち込める霧。その正体は、忘却です
何も感じず、何も考えず、ただ空気のように生きる
痛みも悲しみも試練もない。
あるのは、ニセモノの快楽と、ハリボテの平穏
―――伊集院幸子
Imitation
つまり、人間はあらゆる動物の中で、最も模倣に長けたものであり、最初にものを学ぶのもこの模倣によっておこなうのである。
人間性はどのように獲得されるか、というお話。
高野与一は、かつて言葉を持たなかった。
鷺洲彩は、人の営みに意味を見出さなかった。
でも彼らは、命に触れて、人に触れて、少しづつ人らしくなっていく。
千晴が与一と一緒に暮らし、人間の行動を教えていくことで与一が人間性を獲得する。けれどもそれはそこで終わりじゃない。与一から作蔵や蓮に、そして光や永遠子、彩が人間らしくなっていく。
最初は、千晴の模倣だった。食べる前にはいただきますと言って、終わったらごちそさま。そう言ってもらったなら、お粗末さまでした。
そんな私たちが意識しない『当たり前』で『意味のない事』を千晴は教え続けた。だって、そうすることが『当たり前』なのだから。
人間性というのは、最初から備わっているものではない。
人間でも、それを持たない人はいる。
不完全な模造品でも、それを持つ亜人はいる。
その『当たり前』を教えてくれる限り、それは誰だって持つことができる。
人間性とは、いつしかそれを『当たり前』と思えるようになった時、自然と湧き上がってくるものなのだ。
今が、このときがあるのは、彼女がいたから。
彼女が灯した食卓があるから。
だから、自然と言葉がでてくる。
ありがたみや感謝とは、また別の気持ちで。
満たされた、お腹の奥の方から。
ゆっくりと、
たしかな重さを、ともなって、
ごちそうさまでした、と。
―――高野与一
Human(ity)
子どもにとって遊びの魅力は本当にすごいもので、空腹や喉の渇きをかきたてる果物の魅力でさえもそれには及ばないのだ。
しかし、ぼくがそこに見たいのはむしろ、遊びによって幸せになろうとする強い意志だ。
―――アラン 『幸福論』
Humanityの人間は、すべての営みに意味を見出さなくなってしまった。
笑うことも、泣くことも、喜ぶことも、悲しむことも、何もかも失ってしまった人達。幽鬼のように生きる彼らは、正しくその命を片付けるために生きている。人はいつしか、その終わりすらも自分で決めるようになった。
そんな世界の隅っこ、人間性の最後の防波堤である小さな島には、笑顔で缶蹴りをする彼らが居た。
自分の思い通りにならないことがある。
自分の気持をわかってくれない人がいる。
自分と意見が合わない人がいる。
自分に迷惑をかける人がいる。
この世界には、自分に都合の悪いことが次々と起こる。
だけど、だから、私たちは、笑って、泣いて、喜んで、悲しんで、憂いて、愛することができる。
人間性とは、そんな当たり前のモノ。
「すべての淋しさと優しさが入り混じった世界」で、私たちは生きなきゃいけない。
泣けるほど笑って、泣きながら笑える。
それがきっと、人間らしい幸せではないか。
たくさんの悲しいことに涙しても、たったひとつの嬉しい涙で、ぜんぶ、報われます
―――夏木えみ
人間性の始まりは千晴だったけど、それをずっと受け継いでいったのはえみだった。
主人公たちは結局、えみと一緒に遊んだだけで、彼女の悩みを解決したわけじゃないのだけど、それがなにより大事なことだったのだ。
えみは人間らしさを失っていて、ずっとハリボテの笑顔しか浮かべていなかった。だけど、周りの人達と触れ合うことで、心の底から笑うことが出来た。人間性を取り戻すことが出来たのだ。
だから彼女は、それを誰かに伝えられるように再び睡眠装置の中に入る。
その笑顔は、彼らにもらった大切なものだから。
それが在る限り、彼女の道は光に照らされている。
いつかの未来。人がすべていなくなり、亜人だけしか存在しなくなった未来。
少年は、けれど、幸せな夢から目覚めて歩き始めた。
夢で見た島で見つけたのは、夢の中にも居た少女。
夢の向こう側でしか見たことのない笑顔を向けられて、少年は泣いてしまう。
『晴』れた日の光のような『えみ』は、本当にあるのだ。
それはきっと、『永遠』に。
彼女は、教えてくれた。
たいせつなこと。たいせつなことば。
もし、これからあいつと生きる人がいて、
その人たちが、少しでも笑顔になってくれるなら、
それはきっと、どんな終わりも跳ね返してくれる。
所感
このゲーム、発売が2010年なのですけど、人工知能とかが話題になっている今こそ(あるいは今より未来にこそ)プレイされるべきだと思います。
「Future」で語った僕の思う未来というのは、もちろん仮定の一つですけど、それを否定することって結構出来ないと思います。人は易きに流れるものですし、(本文でもいいましたが)Amazonってそういうものの象徴でしょ?というわけですね。
しかし、現実に人工知能が発達し、人が働くならなくても社会が維持できるようになったら、多くの人は食料や金銭を国に供給してもらうようになるのだろうと思います。そこから先、人はどういう方向に生きていくのでしょうね?僕は少なくとも、笑ったり泣いたりすることは失いたくないなぁ、と思います。
実はこの作品、名前のメタファーが結構上手く出来てて、千晴や笑顔は「ひかり」で、夏木えみは草木のような「笑顔」、永遠子は言うまでもなく「永遠」となっています。
そこらへんを意識して読んでみると、何気ない独白やセリフに驚かされますよ。
1人で生きていくと、どんどんいろんなものが摩耗していくように感じます。
何かを食べる時に「いただきます」と言っていますか?食べ終わった時に「ごちそうさまでした」は?
心の底から大笑いしたのはいつですか?嬉しすぎて泣いたのは?
子どものように友だちと遊んだのは?誰かのために必死に足を動かしたのは?
そんな、きっと当たり前でなんでもないこと。けれど、いつの間にか忘れてしまっていたかもしれないもの。
もしアナタがそうなら、誰かに笑いかけてあげてください。食べる前にはいただきますと、食べ終わったらごちそうさまでしたと言ってみてください。
すぐではないかもしれません。けれど、笑顔というのは本当にあるのだと思いますよ。
(終)