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ここにいるすべての人のために

ノベルゲー・思想・小説なんでもござれ。思ったことをつらつら書いていきます。

あけいろ怪奇譚 感想 ―その想いは力を宿す― (4312文字)

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ブランド:シルキーズプラス ワサビ

シナリオ:かずきふみ

公式サイト:あけいろ怪奇譚

 

朱子と、原田先輩が…大事なことを教えてくれた。

二人の想いは、確かに俺の中に息づいている。

 

 

『言葉は力を持つ』

突拍子もないと思う方もいるかもしれないが、これは古来より信じられている「呪(まじな)い」の一つだ。言霊、忌み名、真名…。言い方はいくつもあるし、信じられている場所も昔の日本だけでなく、多くの場所で見られる「呪術」である。

言葉、というと少しわかりにくいかもしれないので、ここは名前を例にしてみよう。

例えば本作の主人公、佐伯社だが、彼は霊にとても懐かれやすい体質を持っている。土地神のるりとるか曰く

「名は体を表す」

「社はお社」

「魂の安息の場」

「ゆえに例の寄る辺となる」

――るり、るか

とのことだ。

霊的なものの話をするときに、名前というのは非常に大事になってくる。なぜならそれは名前が「存在を規定するもの」だからだ。

そう。山とか海とか樹とか草とか、そういう名も呪のひとつだ。呪とはようするに、ものを縛ることよ。ものの根本的な在様を縛るというのは名だぞ。たとえばおぬしは博雅という呪を、おれは晴明という呪をかけられている人ということになる。この世に名づけられぬものがあるとすれば、それは何でもないということだ。存在しないとも言える。

安倍晴明 (夢枕獏著 陰陽師より)

名前につけられた願いというものがあるだろう。「この子はこういうふうに育ってほしい」「この子の人生はこうであってほしい」…。親の願いが子の名前となり存在を規定する。名前をつけるということは非常に大事な契約なのだ。*1

 

さて、今まで偉そうに語ってきたこの「言葉」だが、本当にこの「言葉」自身に力はあるのだろうか?

「言葉」は記号の配列でしかない。誰かが話したとしても、それは空気の振動でしかないし、こうやって書かれている「言葉」も還元してしまえば0か1の情報の塊にすぎないだろう。どれだけ人を感動させた文学だとしても、それはインクの染みと本質には変わらない。

では、なぜ「言葉」は力を持つのだろうか。

それは、そこに「想い」を見出す人がいるからである。

私達が文字の意味を理解すると同時に、その文字に込められた「想い」も理解しようとする。もちろん、意味を誤解してしまうのと同様に「想い」も誤解してしまうけど、それでも人は「言葉」に込められた「想い」も読み取ろうとする、いや、してしまうのだ。

呪いはあるぜ。しかも効く。呪いは祝いと同じことでもある。何の意味もない存在自体に意味を持たせ、価値を見出す言葉こそ呪術だ。ブラスにする場合は祝うといい、マイナスにする場合は呪うという。呪いは言葉だ。文化だ。

京極堂 (京極夏彦著 姑獲鳥の夏より)

 だからこそ、言葉は力を持つ。人がその言葉に込められた想いを読み取ってしまうから。

それは気遣いであったり、善意であったり、優しさであったりするかもしれないけど、同じように憎しみであったり、悪意であったり、殺意もあるだろう。

『言葉は力を持つ』

だからこそ、この言葉は、こう言い換えられるかもしれない。

『想いは力を宿す』

 

以下、各ルート感想といろいろ。

(ネタバレ注意)

信じるという「想い」の力

全体のストーリーを考えた時に、中心になってくるのは朱子と噂によって生まれた怪談たちだろう。

トイレの花子さんズや、13階段、呪われた血塗り鎌…主人公の力になってくれていた妖怪(?)はすべて噂から生まれた妖怪だった。

もちろんこれらは誰かが新だからこそ生まれた霊ではない。誰かが信じ、誰かが噂するからこそ生まれた存在だ。

 「だいたいは、誰かの妄想の産物。与太話さ。

それ自体に力はない。けどね。信じるやつが何十、何百、何千何万となれば別さ。

信じる力ってのは馬鹿にできなくてね。

それだけの数の人間が信じちまうと、実際に生まれちまうのさ。怪異が。

それが死者でも何モノでもない霊の正体。

空想上の存在が、この世に現れちまうわけさ。」

――葉子 

 本当は存在しないモノ、怪異。それをこの世に存在させるのは人の「信じる」という想いだ。誰もが信じ、誰もが「それ」を認めるからこそ「それ」はあり続ける。

 

この話が顕著に表れているのはるり・るかルートだ。

るりとるかはその昔、土地の神様の生け贄に捧げられた。そんな彼女らは神として崇められ、ついには双子の土地神となったわけだが、彼女ら土地神を存在させているのはその土地の人の土地神を信じる想いだ。

人々の信じる想いが消えた時、彼女らはその存在を失う。

彼女らの存在をつなぎとめているのは彼女らを信じている人の想いなのだ。

 「そうやって、紹介させてくれよ。二人のことを。

俺の家族が、一族が、二人のことを、ずっと覚えていくから

そうすれば……二人は、消えない。絶対に」

――社

 ルートの終わりで、社は二人にそう誓う。それは信じるという「想い」を超えた、るりとるかを大切にしたいという「想い」だった。ENDで社は二人に見守られながら息を引き取るが、それでもるりとるかは佐伯家に生き続けるのだろう。しかし、それは決して当然のことではない。死してなお続いていく佐伯社の「想い」が二人の存在を繋げたのだ。

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想いは力を宿す

怪異をはじめとした幽霊のたぐいは人の「想い」によって存在できる、というのは先に話したとおりだが、その影響を受けるのはもちろん怪異たちだけじゃない。誰かが誰かを、何かを「想う」ときそれはキチンと力を持つのだ。

「……原田望を殺してください

殺して、ください……

これ…………死ねってことだよね

死んでくれ……って、ことだよね……

もう、いいや」

――原田望

 最初に言ったとおり、それは決していい力だけじゃない。誰かを悪意を持って呪うとき、それは毒となって世界を駆け巡る。原田望へ当てられた呪いの手紙は、確かに悪意という「想い」を乗せて原田望へと届いた。その結果原田望は自殺してしまう。言葉は「想い」から力を得て確かに働きかけるのだ。

 

「いまさら説明するまでもないしもう話したことだが、人の想いってのは、強い力を持つ

だからこそ花子さんや、なんだっけ?十三階段に、草刈り鎌か。そんななのが生まれる。

そういう力を内側に向ければ、自分自身を変えちまうのも道理ってわけさ

生きながらにして天狗になったり、仙人なったりさ。

昔はそういうこともよく……はないが、それになりにあったもんさ」

「俺の場合は……鬼になった」

「七人も殺した霊をその身に宿したんだ。

まともな存在になれるはずがない

あんたの復讐心、朱子の怨念、犠牲者たちの無念。

あらゆる負の感情が、抑えきれず溢れだし、あんたの肉体を喰らった

そうして、あんたは鬼になったのさ」

――葉子、社

葉子ルートでは美里を失い、その憎しみから朱子や犠牲者たちを喰らい鬼になってしまう。美里への主人公の「想い」が主人公を暴走させ、朱子や犠牲者たちの「想い」が主人公を鬼にしてしまった。しかし、彼を彼足らしめたのもまた美里の「想い」であったのだ。

…想いは力を持つ。それは良い力だけじゃないけど、けれど確かに「想い」は少なからず届くだろう。

「先輩」

俺の声に、先輩がハッとした顔を上げる。

味方は。俺だけ。

黙って見守るつもりなんて、なかった。

だから、伝えたかった。

先輩は……。

「もう自分を殺さなくていいんです

ぶちのめしましょう」

決して弱くないと。

――社

 TRUEでははっきり言って主人公は何もしていない。ただ側で原田望を見守り、ただ彼女の味方で在り続けただけだ。異能による戦いも、身を粉にして何かをしたわけでもない。けれど、原田望にはちゃんと彼女で味方であるということが、彼女への「想い」があるということが伝わっていた。

原田望を救えたのは、彼女がイジメっ子に立ち向かえたのは、主人公が味方で在り続けただけであり、主人公が原田望へ「想い」を届けていたからなのだ。

TRUEにおいて、他のルートではできなかった原田望と朱子を救うということができた。それはひとりぼっちの女の子に寄り添うことのできた、そんな些細な事があったからこそなのだろう。

 

命は、儚い。

だからこそ、がむしゃらに生きるんだ。

この命が、果てるまで。

いつか、生と死を同時に見つめるこの両の瞳が、閉じてしまうまで。

生きていく。

精一杯、幸せな毎日を。

笑って、泣いて、生きていく。

かけがえのない人たちとともに――

――社

 当たり前だと思っていた日々は、誰かの悪意によって崩されてしまうこともあるだろう。

だけどそれを、今ある素晴らしい毎日を紡げるようにと「想って」いく。

そうしたらきっと、その「想い」は、いつまでも、いつまでも力を持ち続けるはずだ。

 

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イッショニ、イキマショウ…?

それは、彼女の果たされないはずの願いだった。

終いには誰かとともに逝きたいという呪いに変わってしまった彼女の願い…

けれど、それは、最後の最後に、大親友と行くという形で果たされる。

最初の願いとは違うものかもしれないけど、確かに彼女の願いは果たされたのだろう。

「想い」という形の願いは、間違いなく力を持っていたのだ。

 

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雑感

なないろリインカネーションの続編…続編?

コンセプト、というかテーマは前作と遠からず近からずみたいな感じで、どちらかというと風呂敷を綺麗に広げて綺麗にたたむみたいな。前作がある程度こじんまりしてたのを成長させて日常パートやイチャイチャパートを入れるみたいな工夫がなされていた。すげぇ良作ですねこれ。なんかお手本みたいな作品でした。

「想い」というテーマからいろいろ見えるものがあって、本文では触れてないんだけど、ベルベットルートとか佳奈ルートでも「想い」というのはちゃんとキーになってたと想う。ベルベットでは生きてほしいという「想い」だったり、佳奈では主人公達の悪意を持つ人を止めたいという「想い」だったり。こう考えると佳奈ルートのそれはるり・るかルートに近いものがあるかもしれませんね。ベルベットルートは主人公が何かを願って勝ち取る、みたいな捉え方をするとTRUEと同じ位置なのでしょうね。

 

お気に入りキャラはベルベット。てゆーかベルベットルートが楽しすぎてなぁ、TRUEのあとはベルベットとイチャイチャするはずだと僕は願ってやみません。

他にはるり・るかルートで泣かされたり…。基本誰かが死ぬのは反則だよなぁ。

 

ともかく、全体的にハズレルートもなく、綺麗にまとまった作品でした。なんだろう、高級料理店のコース料理みたいな。こういうゲームが増えればいいなぁ…。

 

……というか、ななリンとあけいろのFDを待ってますよ?

(終)

*1:そういう意味では、るりとるかの名前を社がつけたり、ベルベットの名前を葉子がつけたり、葉子が名前を数年で変えたりするのは一つの伏線であったわけだな。名前をつけるのは存在を規定させる主従に近い関係として、名前を変えるのは縛られないようにするためとして。……というか今気づいたけど、葉子って妖狐の書き方を変えただけなのだな…。