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ノラと皇女と野良猫ハート 感想 ―恋から始まる、ひとつの伝説― (3514文字)

 

「人が獣に変わるとき、それは美しい伝説になるという」

 

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ブランド:HARUKAZE

シナリオ:はと

公式サイト:ノラと皇女と野良猫ハート

 

正直、買う気はなかったのだけど、体験版で一気に引きこまれた作品。(体験版終了と共にAmazonで即ポチであったという…)

前作(恋愛皇帝)からパワーアップし、女の子の可愛さを強くしてみました!みたいな作品。ポエムもちょっとだけあるんじゃ。

個人的にあまり良くない要素だったポエムは、今作で「詠唱」という形で上手くハマっていた。詠唱だったらしょうがない、みたいな。そういうのってあるよね…。

 

以下しょうもない感想。

(ネタバレ注意)

猫になること。人ではなくなること。

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この物語の本筋は、主人公がメインヒロインのパトリシアから魔法をかけられてしまうところから始まる。いってしまえば、それまではプロローグであり、主人公が猫になったところからこの「ノラと皇女と野良猫ハート」は始まるわけだ。(OPが始まるタイミングを考えれば当たり前だと言うそこのアナタ、正解です。)

この主人公が猫になるという魔法が、恋の魔法であるわけで(キスで変わるのが特徴的だ)恋の魔法とは文字通り世界を一変させるものだった。その恋の魔法が、パトリシアルートでは、三姉妹に生を宿し、生を宿した彼女らの世界観が輝き出す、というのは結構綺麗な暗喩だと思った。言葉を選ばず言えば、エロスはパワーなのでありました!という。(まぁ、そういう話はパトリシア/未知ルートでの「春は曙」から始まる枕草子で象徴的であった。枕草子はご存知、各季節の美しさを歌った詩であり、世界の美しさを歌った詩とも言える。恋をした彼女らには、枕草子を歌った清少納言のように、世界が輝いて見えたことだろう。だから、枕草子という地上にしか無い詠唱が、恋の魔法として働いたわけだ。)

 

しかし、猫になると言っても、主人公はしっかりとした意識があった。いや、もちろん意識がなかったら意味がわからない物語になるので、そりゃそうなのだが。

猫になること、所謂獣化というやつだが、本作では時に戻ってこれなくなるかもしれないらしい。獣化とは、自分の意識を持っていながら別の動物になることだ。強制的に、別の動物の”視座”に移される、と言い換えても良い。(勿論猫になると見えなくなる色とかあるのだが、まぁそこらへんはご都合主義というやつで)

で、この獣化だが、なり過ぎると(あるいはそこに慣れてしまうと)戻れなくなる、というのは、一般的に神話などで語り継がれている「(黄泉などでの)食べ物をその住人と食べてしまうと戻れなくなる」と似てるなぁと思った。そういう点で見ると、パトリシア3姉妹はご飯を一緒に食べることで戻れなくなっているし、パトリシアの母親なんかは、わざわざご飯を冥界に持ち帰っている(その場では食べない)。シャチなんかは、ノラの母親のご飯を食べて人として生きる道を歩んでいく、感情を芽生えさせていくわけだ。そういう意味で言うと、これも一つのメタファーかもしれない。多分深読みだと思うんだけど(なんなんだ)。

 

家族と、その愛

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この作品で各ルートで一貫して描かれていたのは、おそらく家族の(それも母親の)愛だろう。

たとえば冥界からきたパトリシア達が苦手とするのは、水である。水と言ってもその大本は、母なる海なのである。

主人公の母親は幼いころに亡くなっており、その遺影には一枚絵を使っているほどの力の入れようでありながら、父親の話は一切といっていい程でない。主人公が母親に頼るシーンはあっても、父親を思い起こすシーンは全く無いのだ。一切排除されている、と言い換えても良いかもしれない。それほどまでにこの作品において「父親」は排除されている。パトリシアはそもそも父親が存在せず、未知の問題は母親との確執であり、父親は姿形もない。シャチに至っては母親になろうとまでする。ユウキはシナリオ開始時に家族と特に問題はないが、家族と会話するシーンは電話口で母親とのみである。

はっきり言って、異様だ。この作品において父親の存在だけでなく、父親の象徴(絶対的権力)とも言える「コイツならなんとかしてくれる」みたいなキャラクターもいない。本当に、父親として頼れるキャラもいず、あるのはすべてを受け入れて最初から「ナレーション」として存在しているような「母親」だけだ。常に見守ってくれて、常に愛してくれて、常にすべてを受け入れてくれる…。そんな母親が存在するからこそ、時にグレたり、不機嫌になったりしてしまう。

 

未知ルートでは、それが色濃く出ていて、母親と未知の確執を仲間たちが癒していくのが中心となる。決して「母親と仲良くしなければならない」とは言わず「分かる、めんどくせぇよな。……でもそれって俺たちを心配して、愛してくれるからなんだよな」みたいな話をしている時は、ちょっと僕も何だこの良い奴らと不覚にも泣きそうになってしまった。

「だから、家が嫌いだからって家を出たって、きっとまた、どこかで嫌いになりますよ」

――明日原ユウキ

かつて家出をし、東京に3ヶ月間いたユウキは影を落としながらこう語る。

持論を言えば、家族とは最も近い他人だ。(しかしどこかで聞いたことのある持論だ)

それは、他人は理解し得ないから、家族は結局理解できないものなんだ、という意味ではない。少なくとも僕はそういうふうには使っていない。確かに、家族と言っても体がくっついてるわけでもなければ、考えてることが頭のなかに伝わってくるわけでもない。本質的に家族とは、そこらへんをあるいてるなんの関わりもない人と変わらない。

だからこそ家族といれば、嫌なこともめんどくさいことも起こる。他人なんだから、不理解が存在するのは当然なのだ。

だけど、きっとそのめんどくささから逃げても、人と関わり続ける限り、いつかどこかでその人を嫌いになる。そういう感じのことを、未知ルートからは感じた。

 

閑話休題

で、そういう中にあるのが母親の愛だ。命とは、生とは「母親の愛」だったわけだな。

母親の愛が前提にあるからこそ、主人公は「受け入れるんだ」という。母親が愛してくれるからこそ、そういうものを「受け入れ」なきゃいけない。シナリオ氏は(あるいは作品のみかも知れないが)こういうものを無条件に前提においてて、なるほどとは思った(しかし、愛がない母親だっているのではないのだろうか。みたいな話をする僕は相当めんどくさい人間である。まぁ大体の家庭では母親は愛を持っているのではないだろうか。しらんけど。)

しかし僕からすれば、ただ受け入れるだけじゃなく(それじゃ人形だ)、泣き叫ぶ時も大事なんじゃないかとは思う。どこまで何を受け入れるのか、そういうことを未知ルートで見たかったのだが、しかし半端に終わってしまったという感想しか出ない。そういうことを描ければ良いルートになりそうだったのになぁ…。惜しい。

 

雑感

まぁ、ここまでぐだぐだ書いてきたけど、正直上にあることはどうでもいい

 キャラの可愛さと面白さ。これが100%である。

ノブチナ、田中ちゃん、ヤンキーの3人組のやり取りや、ユウキの茶々入れ。パトリシア三姉妹やシャチの安心する感じ。未知の的確なツッコミ。

そんな主人公を取り囲む状況が、面白すぎて楽しすぎて、あっという間に終わってしまった。というか、日常パート短すぎではないか?もうちょっと色々と書いてほしかった。

まぁ、各ルートで色々なキャラがちゃんと出てきてくれて嬉しかった。そのキャラのルートに行くと、他のキャラが殆ど出ない、みたいなゲームは多いんだけど、しかしこの「ノラと皇女と野良猫ハート」は、最初っから最後まで、主人公達が馬鹿やって時には笑わせてくれて、シリアスになりきれないまま(褒めてます)楽しくやっていく…そういう良い空気で満ちていた。なかなかこういう空気を作れるライターさんはいない。ライター氏にはぜひ次回作を(なるべく早く)作って欲しいものである。

ユウキとシャチルートはなんか短く、正直物足りなかった。シャチの天界設定をもうちょっとうまく使えたんじゃないの?とは思うけど、しかし後の祭りである。

一番高評価しているのは未知ルート。というか未知。未知のノロケボケという新しい形のボケはめちゃくちゃ笑ってしまった。

でもメインヒロイン全員が巨乳ってバランス悪くない?クロシェットでもここまでしないよ、と貧乳派閥の僕は思うのでありました。

 

<余談>

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うまいこと言ってんじゃねぇよ!ってめちゃくちゃ笑ってました。こういう感じの新境地ギャグ大好きです。いいぞもっとやれ。

 

 

(終)