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ここにいるすべての人のために

ノベルゲー・思想・小説なんでもござれ。思ったことをつらつら書いていきます。

斬魔大聖デモンベイン 感想  ―そして我等は、魔を断つ剣を執る― (7412文字)

ゲーム(ノベル) 感想

 

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ブランド:Nitoro+

シナリオ:鋼屋ジン

公式サイト:http://www.demonbane.com/special1/

 

―――憎悪の空より来たりて

―――正しき怒りを胸に

―――我等は魔を断つ剣を執る

―――汝、無垢なる刃!デモンベイン

 

 

2003年に発売されたゲームながら、豊富なCG数と映像、そしてメカ!

13年前のゲームとは思えないクオリティですね。最近のゲームと遜色が無い、といえば嘘になるかもしれませんが、十分見劣りしないものだと断言できます。

後は、キャラクターも魅力的ですよね。なぜか立ち絵があるアトラック・ナチャとかクトゥグアとか、結構実は気に入ってます。

まぁ、もちろん!一番気に入っているのはアル・アジフなんですけど!

今はダウンロードのほうが安くて手に入りやすいし、起動とかも楽なのでもしよろしければそっちで購入を検討してみてはいかがでしょうか。僕もDMMさんで買いましたし。

 

という感じの批評と感想。

最後の最後に装甲悪鬼村正の感想もあるので、そんな感じで。

 

(以下ネタバレ注意)

 

 

コンセプト

とりあえず、まずは軽いコンセプトから。

臥猫堂さんの方でも触れられてましたけど、この作品の根幹は「理不尽への怒り」のようなものだと僕も思います。

で、この理不尽への怒りなんですけど、これは3つの要素に分解できて、それぞれ各ヒロインに割り振られていたように思います。

この3つの要素とは

「日常を愛する心」

「人としての心」

「理不尽へ抗う心」

です。

もちろん、どれかだけ、というわけでなく、各ルートで中心に(あるいは象徴的に)扱われていた主題なわけで、あまりここに優劣はないと思います。

そういうところに焦点を当てながら、各ルートを見ていこうと思います。

 

ライカルート

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ライカルートは「日常を愛する心」を中心に物語が進んでいったように思いました。

「そんなに大切か、この男が。あの子供達が。

今の、飯事の如き贋作の暮らしが、そんなに尊いか」

「あなたは『ままごと』だと言うけれど……それでも私にとっては、守るべき愛しい生活。あなたになんか、冒涜させない……!」

――リューガ、ライカ

 リューガとライカは、対象的なキャラクター像で、サンダルフォンメタトロンという名前からもそれは分かるんですけど、ライカが「日常を愛する心」を持つ人なら、リューガは「日常を拒絶する心」を持つ人となっています。

「もう少し、休んでましょう。

それで日が暮れたら――」

一瞬、息を飲み込み、言葉を詰まらせるがすぐに

「一緒に帰りましょ?」

長い沈黙が、二人を包み込む。

たった二人きりの姉弟を、優しく包み込む。

願わくば、このまま時間を閉じ込めて――

今だけは

今だけは

だけど――

「いや、帰れない」

――ライカ、リューガ

 リューガが目指した青い空。かつてライカと交わした約束の青い空。それはたしかにしがらみのない世界なんですよ。何も恐くない、だって何も失うものがないから。そこから見れば、確かに地べたで這いずりまわっている僕達の悩みはすごいちっぽけなものに見えるでしょう。

だけど、じゃあ青空の世界ってそんなにいいものか?って思うわけです。

何も失うものがない世界、たしかにそこには悲しみもないけど、だからこそ喜びもない。感情なんか必要ない。だからこそ先がない。リューガはライカを殺して青い空に行こうとしたんですけど(ようするに地上でのしがらみを消したかったわけです)、そこから先のことは全然考えてないんですね。で、そういう事をウェスパシアヌスにも言われるんです。「お前はメタトロンを殺してその後どうするんだ」って。だけどそんなものリューガにとっちゃ要らないんですよ。むしろ、あってはならないんです。だってその後の目的があったら青い空に行けないじゃないですか。

「さあ…戦え、ライカ。

今日こそ…己は姉さん。貴女を超えてみせる。

貴女が居なくなれば、己は自由になれる。

ライカ・クルセイドというしろい牢獄から、解き放たれるんだ…」

奴はもう――後戻りできない。

サンダルフォン…リューガは、自分の生きる世界を棄て、異形の領域へと踏み出してしまったのだから。

それが彼の言う、至高の領域とやらだったのだろうか。

ライカさんを連れて行こうとした、青空だったのだろうか。

――リューガ、九郎

 でも違う、そんな青空で生きるのが正しいわけがない。

好きな人がいて、傷つくことがあって、大事な人がいて、罪を背負って、泣いて、笑って、この青空の下を生き足掻いていく。

それが日常を生きる事です。

確かに、自分にとっての日々を生きるということです。

そうしながら生きてゆこう。

九郎ちゃんと一緒に歩いてゆこう。

この青空の下を

必死に

泣いて

笑って

生き足掻いて

――たとえ、地べたを這いずり回ってでも。

――ライカ

 

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で、ほんとに余談というか、割とどうでもいい話なんですけど

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ライカさん、メタトロンVerの方が美人ですよね…むしろ何故こっちの方にしなかった…

 

覇道瑠璃ルート

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 「幻ではない。喩え宇宙が憶えておらずとも、全てが消えゆくとしても、意志は其処に在ったのだ。其れを消す事など如何なる存在にも出来ぬ。

妾にも、神たる汝にも、時たるヨグ=ソトースにも、全たるアザトースにも。決して。決して。」

「意志は確かに存在するのだ。そしてその意志が、未来を創っていく。

此奴等の様に―――」

――アル・アジフ

 さて瑠璃ルート。こちらは「理不尽へ抗う心」ですね。わりと分かりやすい様な、そんな気もします。

瑠璃ルートでは中盤、九郎が倒れて瑠璃がアル・アジフと契約しマギスタイルからデウス・マキナを操るまでするという大健闘をします。個人的に主人公が意識不明のまま物語が進むとは思ってなかったので(なんかすぐ目覚めると思ってました)え?目覚めるよね?みたいな焦燥感にかられるシナリオは素晴らしかったです。読ませるなぁ…。

逃げないで、戦えば良かっただけだ。それを気付かせてくれたのが、アルだったり、デモンベインだったり……姫さん、あんただったりしたんだ。

―――九郎

 理不尽というのは、言ってしまえば僕らが「理解できないもの」と処理してしまうものだと思います。

例えばアーカムシティの住人からすれば、巨大ロボとか突如現れたデウス・マキナは「理不尽」なんですよ。もちろん、それがあらわれるのはちゃんとした理由があるんです。ドクター・ウェストがロボを作り上げて、ブラックロッジがそれを利用したり。魔導書が鬼械神を呼び出すことによってデウス・マキナが現れたり。

まぁ、そういう因果関係があるにはあるんですけど、そんなの知らない人からすればいきなり巨大ロボが現れた「ように見える」んです。

これは昔から続く人類が文明として抗い続けた結果、多くの「理不尽」を淘汰したことを考えやすいと思います。天候の雨とか晴れとか、昔は祈祷とか雨乞いとかそういう儀式によってしか予測出来なかった。というより、不完全な予想しか出来なかったわけです。でも、今は違います。天気予報や気象予報によって’地球全体を覆う雲によって雨が生じ、その雲は流動している(だいぶ大雑把な説明です)”みたいな理解によって、ある程度の制度を確立しています。これは天候という「理不尽」を人間がコントロールと行かないまでも、プロセスを「理解する」ことによって予測できるようになったという流れですね。もちろん、外れる時もあるんですけど、そういう「理不尽」をある程度克服したと捉えていいでしょう。

 で、人が歩んできた文明という形は、こういう「理不尽」との戦いだったわけです。

 そういう「理不尽」を「そういうものだと見る」のか「何か法則があるはずだと抗う」のか…。

どちらが人類史を形作って来たのか、それはもはや言うまでもないでしょう。

 「嘲笑うか……俺の戦いを無意味なものと嘲笑うか?

だがな。今、勝利せずとも良い。俺が勝利せずとも良い。

総ては次に繋がる。次の次に繋がる。お前が破滅を積み重ねるように……邪悪を許さぬ正義もまた、積み重なっていく。

そしていつか未来に辿り着く。お前を討滅して――」

 「絶望の中で足掻くのが人間だ。

だがお前は違う。お前は……茹でられた蛙さ。

煮え滾る絶望の温もりにうたた寝する、哀れな蛙だ。

喜劇は――どっちなのか」

――覇道鋼造(九郎)

 マスターテリオンに負けた九郎の未来、覇道鋼造。

彼はいずれ死ぬとわかっていても、これからの戦いの為に多くのもの(覇道財閥、デモンベイン)を遺していきました。

それがなかったら、九郎とアル・アジフは決して勝てなかったでしょう。九郎とアル・アジフはマスターテリオンに勝つことはできたんですけど、それは決して彼らだけの力だけじゃなくて、今までマスターテリオンに負け続けた覇道鋼造(いつかの九郎)があったからこそ勝てたというわけですね。

見惚れるほど美しかった。

そう。余は識っている。

あのデウス・マキナは、大十字九郎は、アル・アジフは、間違いなく美しい。

それは、ひたむきに、明日を信じて戦うものの美しさ。

それは――絶望を識らぬ美しさ。

あの地球は、そんな英雄を祝福して、照らす。

――マスターテリオン

 で、その理不尽をキャラクターにしたのがおそらくナイアルラトホテップです。

ナイアルラトホテップは這い寄る混沌なんですけど、混沌ってのは「理不尽」の塊なんですよ。だって、そこにはルールがない、意味が無い…そんなの理不尽の塊じゃないですか。そこにルールや法則を見つけ規定するからこそ混沌を秩序に変える事ができるわけです。科学とは言わば混沌を秩序に変える文明の武器の一つなんですね。

否定された燃える闇の存在が揺らぐ。

其れは霧散ではなく収束

混沌は混沌であるからこそ意味を為す。

存在を固定されれば――存在が揺らぐ。力を失う。

闇黒は、単なる女となって、固定された。

ナイア。

だが、それは仮の名。

その真の姿は、無貌の――

 真瑠璃ルートで、アル・アジフはナイアの存在を固定することで倒すんですけど、これは混沌を秩序に変える縮図といえます。

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本当に関係ないんですけど、姫さんCGでパンツ見せすぎですよね…なんかもう、どっちかって言うと食傷気味なんですけど…。

 

アル・アジフルート

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(↑溢れ出る正妻感。割とお気に入りの一枚です)

さてアル・アジフルート。こちらは「人としての心」を中心に扱っているのではないかな、と。

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アル・アジフは魔導書です。それも、理不尽に抗うために、外なる神に抗うために綴られた魔道書。だから、当たり前の話なんですけど、彼女は人としての心をほとんど持っていないんですよ。最初は。

何処の世界に魔導書を、そのように扱う魔術師がおるか。
それは妾にとってはまるで無限の幸福であり、同時に無限の責め苦でもあった。
悠久を生きる妾にこの温もりは惨酷だった。
嗚呼・・・そうか。
そうだったのか。
うつけは妾か。
何故、何故、今まで気づかなかったのだ。
妾は今頃になって、失われた我が主共の死を悲しんでいるのか。こんなにも、こんなにも悲しいものを、妾は抱えて生きていたのか。
今頃になって・・・何を今更・・・
こんなにも悲しいのなら、それならば独りで死んで逝った。主共に、涙の一つも流してやれば良かったではないか!
何故にあのとき!
あの時代!
あの瞬間!
この涙を流してやれなんだ!

――アル・アジフ

でもそれを九郎と出会うことによって芽生えさせていきます。それを自覚するのがここのシーンです。

そんなもの、その程度の輩、本来の力を持っていれば・・・
妾と汝が二人居れば、何ら恐れるに足らないと云うのに!
「・・・・・!」
・・・そうだ。
そうだった。何故、忘れていたのか。あの時、誓ったではないか。苦痛も悲しみも公開も、我等二人で分かち合おうと。
何て様だ。
こんなところで手をこまねいている場合ではなかろう!
そうだ、・・・戦わなければ!
「あっ・・・」
気づけば。
骸達の姿はもう何処にも無かった。
そして血塗れの路もまた。
其処にあるのは、ただ・・・
「分かっておる。わかっておるとも。もう、大丈夫だ。・・・ありがとう。不甲斐無い妾を、見守っていてくれて。」
地面に落ちた刃を拾う。
無垢なる刃。
魔を断つ剣。
輝いている。誇りに、愛に、そして正義に。

――アル・アジフ

魔を断つ剣とは理不尽に抗う心です。

だけど、その魔を断つ剣とはただ其処に在るわけじゃない。

・・・侵されていたんだ。犯されていたんだ。冒されていたんだ。

なす術も無く邪悪に貪られていた。理不尽に、無意味に、ただ陵辱されていた。未来に繋がることなく、殺され続けていた。

それは子供の明日を奪われた母親の嘆き。

それは子供の明日を守れなかった父親の怒り。

それは穢され続けてきた世界の、無力な憎しみ。

だけど・・・それでも、それは怨嗟じゃないんだ!それは正しき怒りと憎悪。

涙を流し血を流し、それでも歩くことを辞めない、いつしか希望へたどり着こうという、命の熾烈な叫び!

総ての怒りと憎悪を清め、我が子に未来を遺したいと願う親達の優しき祈り!

お前たちとは・・・違う!

――大十字九郎

 理不尽に抗う心、それは人として正しい怒りと憎悪から来たるモノ。

それは決してシステムなんかじゃなく、人の心からくる悲痛な叫び。

だからこそ、アル・アジフは最後の戦いにおいて本当の魔を断つ剣を執る事ができたんです。

大十字九郎のことを愛したからこそ、その心を通じ合わせることが出来たからこそ、その大切なモノを奪われることの恐怖と怒りを識ったんです。

『その祈りと叫びは・・・』
「人間だから出来るのさ」
『天上の神にではなく・・・』
「・・・アル」
「・・・九郎」
「側に居てくれ。お前と一緒なら・・・なんだって出来る!」
「ああ!」
『心を結んだ、男と女の元に届いた』

「祈りの空より来たりて・・・」
「切なる叫びを胸に・・・」
「「我等は明日への道を拓く」」
「「汝、無垢なる翼・・・デモンベイン!」」

 ――アル・アジフ、大十字九郎

 ほんとココらへんの流れは最高ですよね…

後はこのシーンも個人的に相当お気に入りです。

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お前その武器どこで手に入れたんだよとか、そんな野暮な質問はしちゃいけないんです!カッコいいから良いんですよ!!

 

 

総評(とか所感と、おまけ?)

というわけで各ルートの感想終了。

アル・アジフがヒロインとして抜きん出てたので、アルルートが個人的に一番お気に入りです。ロリコンは世界を救うんだ…!

結局あの口上は

憎悪の空より来たりて(日常を侵され)

正しき怒りを胸に(人の心から生じる怒りを抱き)

我等は魔を断つ剣を執る(理不尽に抗う意志を持とう)

という解釈が出来るのではないかな、と。

 

ボイスは一部しかないんですけど、なんか逆にこういうほうが良いかもしれない。味が出るというかなんというか。インガノックと同じアレです。決めゼリフはカッコいいから非常に良い。

というわけでデモンベインの感想(批評)は終わりです。

参考サイト様

臥猫堂(ネタバレ批評 斬魔大聖デモンベイン

 

終わりなんですが、同じシナリオ氏の作品の「装甲悪鬼村正」のことを色々思い出してみると、なんか新しい発見があったのでメモしておきます。装甲悪鬼村正のネタバレなので以下反転で。

装甲悪鬼村正のヒロイン、一条と大鳥はよく喧嘩するんですけど、多分それって彼女たちの在り方が対照的だからだと思うんですよ。大鳥は「利己的」な人間で、復讐を果たそうとして、そのために粉骨砕身しています。復讐とは自分の利益のために他人を殺すことであるわけですから、どんな理由があろうとこれ以上の利己的な人間もいないでしょう。で、一条なんですけど彼女は「利他的」な人間です。彼女は正義を信じ、そのためならどんな痛みだって我慢できます。だけど、彼女が悪だと思った人間を殺した末に彼女に待っていたのは、その悪だと思っていた人間によって救われた少女からの恨みです。結局、完全な利他的というものは存在しないというわけなんですね。そこらへんは辛い。

で、この物語は正義についてのお話だとは思うんですけど、結局その答えは景明自身は出せていないんじゃないんでしょうか。結局彼に出来たのは今まで殺してきた人間への贖罪からくる天下布武という正義です。確かに、それがあれば人は争いをやめるかもしれません。でもそれは恐怖からくるものですよね。自分の大切な人が殺されたら嫌だから、憎む人も殺せない。愛憎相殺の呪いは「憎む人も愛する人も別の側面から見たら入れ替わるかもしれない」という平和を願う思想からくるものだと思います。天下布武という正義は、恐怖によってこの思想を強制させるものです。だから物語のラストですごいゆがんで見えるんですよ。その未来には争いがないかもしれないけど、きっとなにか大切なモノがない。何かを失った景明のように。

それに対する光が、景明が道中で出会った少女です。この少女は物語終盤にいきなり出てきて、ラストにも唐突に現れます。そしてその少女は言うのです「和をもって尊しとなす」と。

いや、もうすごい発言です。シナリオ氏まじですごい。僕はこの言葉は正しいと思うんですけど、やっぱりこれを聞いた時は景明とは別の歪みを感じました。そりゃそうなんですよ、和をもって尊しとなす、それが出来れば、最初から最後までこんな話は起こらなかったんです。景明の戦いが、この言葉によって殺されるんです。ようするにこれは本当の理想だったわけです。それは、無垢な少女だからこそそういうことが言える。だけど、その理想を見失ったらそこに辿りつけない。

いつかきっと、景明は(もしくは景明の思想は)この理想に倒されるのでしょう。(だって天下布武はその理想への正しき一歩なのですから)でも僕らは、彼がたどってきた道を知っている。天下布武という正義しか掲げることが出来なかった彼だけど、しかし彼は彼の戦いがあった。僕らは彼に幸せになって欲しかったけど、彼は最後は自らの罪に殉じた。彼は最初から最後まで弱い人間で、だけど、だからこそこういう罪を背負ってしまったのかなぁ…と思うと胸が痛みますね…。

ということを漠然と考えたりしました。再プレイはしてないし、昔(3,4年前)に一回プレイした限りなのであやふやなことを言っていると思いますが、これだけ覚えているのはやはり装甲悪鬼村正という作品の持つ素晴らしさなのでしょう。

そんな感じで、装甲悪鬼村正の感想でした。

 

(終)